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埼玉武蔵ヒートベアーズ 角晃多球団社長 ”三刀流”としての奮闘から社長専任へ。自身が描く理想像「野球を通じたコミュニティをつくりたい」

現在、埼玉武蔵ヒートベアーズ(以下、ベアーズ)の球団社長を務める角晃多さん。

2018年からは若冠26歳の最年少監督として指揮を執ることになり、21年には創設初の地区優勝を達成するなどチームを立て直してきた。

22年には球団社長に就任し、ゼネラルマネジャー(GM)を加えた”三刀流”として、球団運営全てを担っていた。

最終回は球団社長就任から現在の角さん、そして抱くベアーズの展望について語っていただいた。

>前回のコラムはこちら

(取材協力:埼玉武蔵ヒートベアーズ 文:白石怜平 ※以降、敬称略)

「NPBへ送り出すことを念頭に」GMとしてのスカウティング

21年末、角は球団社長に就任した。20年から「株式会社温泉道場」が親会社に就いた時から話はあったという。

「そのタイミングで、『球団運営に興味はないか』というのはお声がけいただいていたので、どこかでなる想定はしていました。思ったより早かったですが(笑)」

自身も将来的な就任を視野に入れ、スポンサー営業や年間の予算や費用感といった経理部分にも携わるなど準備を重ねていた。

また、GMについては監督就任時から肩書きをつけていた。球団社長に就任したことにより監督とGMとの3足の草鞋を履くことになった。

「元々やっていたのですが、肩書きをつけようと自分でお願いをしました。学校や親御様にもご挨拶したり説明したりするので、あったほうがよりお相手も安心いただけるかなという意図です」

選手の将来を常に考え、スカウティングをやってきた(左は現中日:樋口正修、球団提供)

選手獲得も角が一人で行ってきた。高校の県予選を自分の足で回り、同時間帯に試合があれば並行してTV中継をチェックするなど、この時期は特に多忙を極めた。選手獲得についての狙いを明かしてくれた。

「チェックするのはだいたい3回戦〜5回戦。準々決勝の手前ですね。高校生で才能があるにも関わらず埋もれてしまうこともあります。その才能を引き上げて磨くことも独立リーグとしての意義があると思うので、あえて準決勝以降は行っていないです」

独立リーグの存在価値そして選手の将来を考えたスカウティングを行う角。獲得する選手の特徴についても話した。

「選手はNPBへ送り出すことを念頭に獲得しています。『この選手だったらこの領域までは行くだろう』・『この選手だったら育成はたまた支配下も可能性がある』ことを想像しながら声掛けをさせてもらっています。

特徴としては”足が速い”とか、”若い捕手”など。あと基本は投手ですね。投手については若いほど、球が速いほど良いです」

大切にしている”コミュニティ”

一方、球団社長の顔としては、角が率先して地元の企業やイベントで登壇するシーンを多く見る。スポンサーの営業や挨拶も自身一人で行っており、22年まではスーツとユニフォームを着分けながら関係性を築いてきた。

「特にここ数年は”ベアーズを知っているよ”と言っていただけます。今まではどちらかと言うと我々の想いが先行したり元々ある人脈からの要素が強かったのですが、県が一体となって取り組んでいるからこそ、『応援したい!』とか『盛り上がっていますね』といったお声掛けがすごく増えました。本当にありがたい限りです」

以前から自身も試合前にファンサービスを行っていた(筆者撮影)

地域の交流イベントで特徴的なのは熊谷市の「おふろcafé ハレニワの湯」内にある「ベアーズカフェ&ショップ」。

ここでは選手をモチーフにしたメニューやグッズショップがあり、さらに目玉として選手自身が一日店長として店頭に立つイベントも行われている。

これらを踏まえ、角は「野球を通じたコミュニティをつくりたい」と語る。描く理想の姿を語った。

「芯となる野球で言えば、球場に足を運んでいただける方たちとのコミュニティ。チームの勝利や発展していくことに対して皆さんすごく喜んでくれるんですよ。ベアーズを通じて球場を盛り上げる。ファンのコミュニティを大切にしています。

スタンドに入った時、どこが最初に目に映るかといったら応援の風景だと思います。ファンの方たちにも、一緒に球場盛り上げてほしいといつもお伝えしていますし、そのコミュニティを僕も一番大切にしています」

野球教室など地域交流のイベントも多く開催している(球団提供)

監督において、21年までは練習から選手を見てスターティングメンバーはじめ選手起用についても自ら決めていた。

ただ、3つを兼務してい22年はそうはしなかった。では、どんなスケジュールをこなしていたのか。

「練習の時は朝もしくは昼だけ行って、試合の時はずっと帯同しました。経営の業務も増えていったので、試合の時だけ来るケースのが多かったと思います」

そのため、スターティングメンバーは片山博視ヘッドコーチ兼野手(肩書は当時、現野手コーチ兼野手)が決め、角は作戦面や試合での采配に専念していた。ここでも選手の気持ちを思いやる人間性が垣間見えた。

「毎日見ていない人にスタメンを決められるのは、僕だって抵抗を感じます。この選手を使いたいといった要望があれば普段見ているヘッドにお任せして、試合に勝つための采配を僕の方でやらせてもらいました」

22年は1塁コーチも務めながら指揮を執っていた(筆者撮影)

昨年からは球団社長専任に

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