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【特集】戦場への帰還 ~不屈の精神と長き闘いの記憶~埼玉武蔵ヒートベアーズ 由規兼任コーチ 第1回 右肩の違和感からの苦闘の始まり

13年、ついに右肩手術を決断

未だに原因が判明しなかった由規はすがる思いで病院を回っていた。行った先々で別の病院を紹介され、大阪など各地を転々とした。

「その後もいろいろ回りましたね。治療とか診察だけではなく、やれることは全部やろうと思って良いと聞いたところは行きました。

気功の先生の元を訪ねたりパワースポットに行ってみたり…本当に神頼みでしたよ。20カ所ぐらい行ってるんじゃないですかね」

当時は投げることすらままならなかった(球団提供)

各所を回ったおかげで、右肩関節唇そして腱板が損傷していることがついに判明した。13年、由規はついに野球人生を懸けた決断をすることになる。右肩にメスを入れることにした。

「自分では覚悟していました。異常がない訳がないと思っていたので。同時に、自分でストップをかけることなく投げた状態と比べたときに、『今まであれだけ腕を振っていたんだよな』と考えたら、『ここまでやるには手術を決めなきゃいけないな』と。

このままズルズル行くのも嫌でしたし、都度麻酔を打った状態でキャッチボールをしても良いときの状態には届かない。だったら、一度クリーンな状態にしてリハビリをこなしていく方が近道ではないかと思い決断しました」

手術前にも、数多くの試行錯誤をしていた。肩を補うために周囲を鍛えたり、あえてトレーニング自体を行わなかったりなどど手は尽くしていた。

それでも当初は違和感だった右肩は悲鳴を上げていた。右腕が上がらず、物を拾ったり髪も洗うのもままならないなど日常生活に支障をきたしていた。

悩みに悩んだ末、肩の手術を決断した

「さまざまな怪我をした方たちと会話する中で、自分もそうだったのですが確認したがるんですよ。痛みが出るって分かっているのに『痛み出ないんじゃないか』とか『今日痛み出るかな』ってわざと痛いことを試してしまう。

それも本当は良くないのですが、毎日朝起きたらその繰り返しでした。日常生活で少し楽になってきて、もしかしたらボール投げられるかもしれないってやってみたらダメの繰り返しでしたね」

そして同年4月11日に内視鏡によるクリーニング手術を受けた。

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