
日本プロ野球名球会 野球命名の地に集結 伝来150年記念の舞台でレジェンドたちが躍動
1月29日、愛媛県・松山市の坊っちゃんスタジアムで「野球伝来150年イベントin 松山」が開催された。
俳人・正岡子規により”野球”という名が命名された原点の地で、日本プロ野球名球会のレジェンドたちが一堂に顔を揃えた。
(取材協力:日本プロ野球名球会 、写真 / 文:白石怜平 ※以降 敬称略)
2022年、野球伝来150周年の節目に
このイベントは、アメリカのベースボールが日本へ伝来し、昨年で150周年という節目を記念して開催された。
第一大学区第一番中学(後に開成学校から現・東京大学)で教鞭をとっていたホーレス・ウィルソンが日本人に初めて野球を教えたのが1872年。そこから150年を迎えた。
また、本イベントの開催地は愛媛県・松山市。アメリカから伝わって来たベースボールがここ日本で”野球”と命名された地である。

日本を代表する俳人である正岡子規が1884年、東京大学予備門時代にベースボールを知り、熱中したといわれている。
1889年7月に故郷の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えた。自身の作品の中で幼名「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」と記載し、それが今日にわたって使われ続けている。

今年、誕生から45年を迎える日本プロ野球名球会
今回行われた「野球伝来150年イベントin 松山」では、豪華2本立てのプログラムとなった。
午前は身体障害者野球日本代表の結団式、そして代表チームと地元新田高校女子硬式野球部とのエキシビジョンマッチを開催。
午後には、日本プロ野球名球会(以下、名球会)と芸能人選抜チームとの試合が行われた。
日本プロ野球名球会は1978年7月24日に創設された一般社団法人で、間もなく45周年の節目を迎える。
プロ野球界の裾野拡大や社会への還元を目的に創設された。入会できる条件としては、昭和生まれ以降の日本のプロ野球選手・OBで、投手が日米通算200勝または250セーブ以上・打者が同2000安打以上。球史に未来永劫名を残す者たちが入ることを許されるまさに特別な場所である。
昨年、特例入会制度として上原浩治(元巨人ほか)と藤川球児(元阪神ほか)が晴れて入会し、現在投手17人・野手47人の計64人となっている。
また、役員も新しくなり、トップである理事長が山本浩二(元広島)から古田敦也(元ヤクルト)とそのバトンが受け継がれた。

初代セ・リーグ覇者「松竹ロビンス」が復刻
今回名球会と対戦したのは、歌舞伎俳優の尾上松也が率いる芸能人選抜チーム。初代セ・リーグ覇者である松竹ロビンスを復刻したユニフォームを身に纏った。
一方、名球会も球史を彩ってきた名選手たち。今回は、主に90年代〜00年代にかけて活躍したメンバーが名を連ねた。

名球会の先発は工藤公康(元西武・ダイエー他)。現役さながらの投球フォームからテンポの良い投球でストライクを重ねていく。
21年まで務めたソフトバンク監督時は自ら打撃投手も務めた。最終年も1日100球以上投げ、3連投で計400球を超えるなど実働29年のタフネスぶりは健在。

名球会先発の工藤公康
今年の5月で60歳を迎えるが、この試合も年齢を感じさせない120km台のストレートとカーブを中心に三振の山を築く。2回を無失点と貫禄の投球を披露した。
3回からは山本昌(元中日)が登板。捕手は古田が務め、共に1965年生まれの”同級生バッテリー”を形成した。

山本昌も現役時代を彷彿とさせる独特の投球フォームと、低めに集めて打たせて取る投球術で相手打者を手玉に取った。
しかし、内野の連携ミスでピンチとなると、迎えるは名門・横浜高校野球部出身の上地雄輔。高めのボール球ながら思い切り振り抜くと打球はレフトの頭上を超える二塁打に。松竹ロビンスが2点を先制した。
その裏、名球会チームはすぐさま反撃に出る。先頭の田中幸雄(元日本ハム)が放ったセンターへの飛球は二塁打となり、続く谷繁元信(元横浜・中日)が死球で無死1・2塁と同点のチャンスに。
谷繁はガッツポーズを見せ、勝利への執念を見せた。


野村謙二郎(元広島)、福留孝介(元中日他)が倒れ2死となるも、宮本慎也(元ヤクルト)が四球で満塁に。塁に向かう際、ネクストバッターズサークルに向かって大きな声で「任せた井口!」と託した。

そして、井口資仁(元ロッテ他)が打席に。現役時代に幾度となく放ったセンター前へのクリーンヒットで2者が生還し、同点に追いついた。表の守りでは、先制された際の連携ミスに絡んでいただけに喜びもひとしおだった。

通算合計650セーブの豪華リレー
この回は同点で終わり、4回表に。マウンドには山本昌が1人投げ、その後岩瀬仁紀(元中日)が上がった。先頭の長谷川玲奈にヒットを許すも、前の回に先制打の上地をキャッチャーフライに打ち取るとこの回3人目の藤川にスイッチ。

00代中盤、巨人を交えた三つ巴で毎年優勝争いを繰り広げてきた中日・阪神で共にクローザーを担った2人。合計650セーブ(岩瀬:407・藤川:243)の投手リレーが実現した。

岩瀬→藤川と豪華リレーが行われた
藤川は最初の打者・増田英彦(ますだおかだ)に四球を与えるも、後続を抑え無失点で凌いだ。
4回裏、松竹ロビンスのマウンドには女子硬式野球チーム「アメイジング」で投手を務めるサウスポー・笹川萌が登板した。
先頭・野村が四球で出塁すると、その後2死になりながらも2塁に。ここで迎えるは前の打席に同点打を放った井口。しかしここでは前の打席の再現とはならず、名球会は無得点で終えた。
一旦最終回となる5回表も藤川が続投。得点圏にランナーを背負うも自慢のストレートで三振を奪うなどピンチを切り抜けた。

サヨナラからの”延長戦”
裏の名球会の攻撃、投手は”百獣の王”こと武井壮が務めた。先頭のアレックス・ラミレス(元ヤクルト他)が四球で出塁すると、続く打者は古田。
ここ坊っちゃんスタジアムは、自身にとって名球会入りを果たす2000安打を放った思い出の地。
ここでサヨナラ勝ちへの機運を高めたいところだったが、外角高めを打ち損じ痛恨の遊ゴロ併殺。思わず一塁ベース手前で帽子を叩きつけ悔しさを露にした。

しかし、ここから一気に動きを見せる。打席に立ったのは藤川。現役時のほとんどが救援投手であったため、打席に立つシーンは少なかったが、実は左打ち。
高めの球を引きつけると、痛烈な打球がレフト線を抜け二塁打に。打者顔負けの技ありのバッティングを見せサヨナラのチャンスをつくった。

そして、次打者・田中が右方向へ打ち返すと二塁手の正面へ。ここで引き分けかと思われたが、送球が一塁手の手前で弾み捕球できず田中がセーフに。その間に藤川もホームインし、名球会がサヨナラ勝ちとなった。

ただ、ここでは終わらない。松竹ロビンスからの”交渉”で1イニングの延長が決定。特別に6回表が行われた。
名球会の”抑え”はラミレスが担うことに。ヤクルト時代の盟友・古田とバッテリーを組んだ。最後は同じく盟友の遊撃・宮本への真正面のライナーで締めゲームセット。名球会チームが逆転勝利を収めた。

試合後は表彰式が行われ、MVPには同点タイムリーを放った井口・敢闘賞には先制打の上地が選ばれた。
金のグラブ型のトロフィーを受け取った井口。昨年まではロッテの監督として指揮を執り、常に厳しい表情で試合を見守る姿が多かったが、この日は試合前から常に笑顔を交えていたシーンが印象的だった。

また、本イベントでMCを務めた下村泰司は井口の國學院久我山高校で1つ先輩に当たる。この日久しぶりに再会し、最高のプレーを先輩の前で見せることができた。
そして最後は場内一周し、この日平均気温5度台ながら最後まで試合を見届けたファンに感謝の意を表した。

「野球伝来150年イベントin 松山」は無事に終了。昨年は12月に沖縄でイベントを開催するなど、名球会もコロナ禍前の活動を取り戻しつつある。
次はどんなイベントでその勇姿を見せてくれるのか。ファンはその期待をさらに増している。
(おわり)
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