「野球は外でするもんや!」元阪急ブレーブス 福本豊さん かつての”世界の盗塁王”の想いと身体障害者野球のルーツ

福本さんの”提案”をきっかけにチームが誕生

福本さんはその輝かしい実績だけでなく、社会福祉活動も積極的に行ってきた。阪急の選手はシーズンオフに、病院や医療施設などに訪問するのが”伝統”であった。

かつて神戸市西区にあった肢体不自由者医療施設「のじぎく園」には、阪急のルーキーが毎年訪問するのが恒例。

福本さんも1年目のオフ、同期入団の山田久志さんや加藤英司さんらとともに、同施設を訪れた。ここの生徒の一人であった故・岩崎廣司さんとの出会いが身体障害者野球誕生のきっかけとなった。

「僕は立ち上げの時からいてるんですけども、阪急での1年目の時からお付き合いがあってね。野球一緒にやろうという話になって『野球は外でするもんや!』って、”無理矢理”連れて行ったんですよ。そしたらそこからみんなハマってくれてね。『やっぱり野球面白いなぁ』・『やっぱり野球外でやるもんやね』ってなったんですよ」

岩崎さんは元々野球が大好きで長嶋茂雄さんの大ファン。福本さんとキャッチボールなどの交流を通じ、野球への想いが高まっていく。81年に身体障害者野球チーム「神戸コスモス」を立ち上げ、歴史が始まった。

今も名門として君臨している「神戸コスモス」

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