岡山桃太郎が5連覇 を達成!「第26回 全日本身体障害者野球選手権大会」主将そしてエースが語った”春の悔しさ”からの這い上がり
11月2日から2日間、兵庫県豊岡市の全但バス但馬ドームで「第26回全日本身体障害者野球選手権大会」が行われた。
目下4連覇中の「岡山桃太郎」が王者の試合を展開し、その力を見せる大会となった。
地区大会優勝チームのみが参加できる大会
「全日本身体障害者野球選手権大会(通称:秋の選手権)」は毎年11月上旬に行われている身体障害者野球の全国大会。
「NPO法人日本身体障害者野球連盟」に加盟している全国38チームの頂点を決める大会として位置付けられている。
秋の選手権は1999年から開催(2020年は新型コロナウイルス感染拡大により中止)されており、全国7ブロック(※)の地区大会を勝ち上がったチームのみが参加権を得ることができる特別な大会。
(※)北海道・東北、関東甲信越、中部東海、東近畿、西近畿、中国四国、九州の7ブロック
今年も毎年会場となっている但馬ドームで全9試合が行われた。
主将の本塁打が勢いづける
岡山は全国大会での戦績はさることながら、昨年日本が世界一に輝いた「第5回全国身体障害者野球大会」でチーム別最タイの5選手を輩出している全国屈指の強豪チームである。
初戦の相手は名古屋ビクトリー。名古屋は岡山と例年決勝戦で覇権を争うライバルチームの一つ。上述の世界大会で岡山と同じ5選手を輩出し、ここでは代表選手同士の対戦もみられた。
この試合で活躍を見せたのが主将の槙原淳幹。1−0と拮抗した展開を見せていた中盤の4回に3ランとなるランニング本塁打を放ち、大きな追加点をもたらした。
槙原は生後10カ月の時に事故で右腕が動かなくなり、物心が付いたときから左腕で生活している。
小学3年生で野球を始めてから着実に実力をつけ、高校時代には軟式野球部のレギュラーとして全国優勝を成し遂げた。
岡山桃太郎に入団したのは20年前。中学3年生の時に、槙原のプレーを見たチームからスカウトを受け、チームの一員となった。
捕球したグラブを舞い上げてボールに持ち替え、一塁へと送球するスピードと正確性は世界を代表するレベルを誇り、昨年の世界大会には二塁で出場し副主将も務めた。
この試合で放った本塁打での打席はカウント0-2と追い込まれた打席だった。そんな中左手一本で思い切り振り抜いた打席は、右翼の頭上を超えた。
この本塁打について槙原は笑顔で振り返り、
「打球を見失ってました。気づいたらライトが打球を追いかけているのが見えて、あとは必死に走ったのですが、『一周は遠いな』と(笑)。
2死1塁の場面で簡単に追い込まれていたので、三振はしないように何とか内野を抜こうと軽く振り抜いたスイングでした。ホームインのときは、ベンチから総出で仲間が迎えてくれて素直に嬉しかったです」と語った。
この一打からさらに勢いづいた岡山打線は次の回に5点を加え、9−2で勝利。決勝へと進んだ。
決勝ではエースが”復活”の貫禄投球で完封勝ち
そして翌日に行われた決勝戦は、神戸コスモスと対戦した。神戸は、日本における身体障害者野球のルーツとなったチーム。
”世界の盗塁王”こと福本豊氏(元阪急ブレーブス)と交流したことがきっかけとなり、1981年に故・岩崎廣司氏(前日本身体障害者野球連盟理事長)が創設した。
春の選抜大会優勝20回・秋の選手大会優勝16回を誇り、世界大会でも山内啓一郎・日本代表監督(日本身体障害者野球連盟理事長)を始めコーチ2名、代表選手3名を送り込む名門チームである。
神戸は初日に2連勝し、16年以来の優勝を目指すべく王者・岡山へ挑んだ。
試合は岡山が序盤からリードを奪う展開になった。初回に3点を奪い主導権を握ると、先発の早嶋健太が快投を見せて神戸打線を抑え込んだ。
早嶋は日本の絶対的エースとして長く君臨し続け、前回・前々回の世界大会では世界一の原動力となり連続MVPを獲得。
打ってはリードオフマンを務め、前日の名古屋戦でもタイムリーを放つなど投打でチームを引っ張っている。
左手に先天性の障害(左上肢手指欠損)がある早嶋は小学5年生から野球を始め、大学まで健常者チームでプレーした。
甲子園を目指した高校時代には1年秋からレギュラーを掴み、中国六大学リーグ所属の吉備国際大時代には100名を越える部員の中からベンチ入りメンバーに選ばれた実力者。
大学時代に世界大会の存在を知ったことをきっかけに16年に入団すると、17年には年間MVPを受賞するなど早くから主力として活躍を見せている。
早嶋は決勝のマウンドで躍動し、6ー0で完封勝利。岡山は神戸以来となる秋の選手権大会5連覇を達成した。
ここで誰もが”さすが”と唸る投球を見せていたが、実は今シーズンは己との戦いの連続だった。
2月に右肘のクリーニング手術を再び行い、リハビリからのスタートだった。万全とは言えない中迎えた6月春の全国大会では、名古屋戦に登板し勝利するも4失点するなど本来の投球ではなかった。
また、チームは次戦の香川チャレンジャーズにまさかの敗戦を喫し、春の大会連覇が絶たれる波乱の結果にもなった。
「名古屋戦での結果はストライクが入らない、ストライクを取りに行く球を打たれ、試合には勝ったものの非常に悔しい戦いとなりました。次戦、香川戦には敗れ2回戦敗退となりました。その悔しさが原動力となったシーズンでした」
ここからリハビリとトレーニングを重ね、調子を取り戻したエースは主戦場とも言える選手権の舞台で復活を証明して見せた。
初の年間MVPに輝いた槙原「チームの勝利だけを目指してやってきた」
閉会式では表彰式が行われ、大会MVPには早嶋・そして2024年の年間MVPに槙原が選出された。早嶋は大会を振り返り、
「やり切ったというのが1番です。6月の敗戦から、次は絶対に負けないという強い気持ちを持ち続け、リハビリや日頃の練習に取り組んできました。その結果が出たのは自信になりました」とコメント。
来季に向けては早くも春のリベンジを目指しており、
「次の選抜大会は優勝まで2日間で4試合戦い抜かないといけない。チームの総合力が必要となるので個人的にもチームとしても課題に向き合い、隙のないチームを作りたいです」と意気込んだ。
また槙原は初めての年間MVP獲得となった。入団から20年もの間チームを支え、勝利へと導き続けてきた男は、チームの過渡期の中でもその強い自覚を持ったコメントだった。
「自分がどんな立場であろうと、常に『チームの勝利』だけを目指してやっているので、MVPよりも断然チームの5連覇の方が嬉しかったです。
春は2回戦負けで悔しかったですし、監督が代わった年だったので、特に佐藤(晃一)監督を胴上げしたかったです。
各々の事情もあってチームバランスが変わった年でしたが、チームが勝つためにそれぞれが役割を果たせた1年間でした」
来年に向けては、早嶋同様に春の悔しさを決して忘れてはいなかった。その想いを持って臨むことを明かしてくれた。
「桃太郎は春に勝てていないので、まずは春も優勝し、年間無敗の1年にしたいです。そして、自分自身もしっかりと体をつくって大会に挑みたいです。
私もキャプテンとして、さらにみなさんに応援していただけるような岡山桃太郎にしたいです」
岡山の選手権大会5連覇で幕を閉じ、全ての大会日程を終えた身体障害者野球。
早くも各チームは来季に向けたスタートを切っており、またこの場所に戻るべくそれぞれが日々大好きな野球と向き合っている。
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