「第25回全日本身体障害者野球選手権大会」選抜チームが発揮した団結力と絆の2日間「最高のメンバーで試合をやれた」
23年11月4日〜5日、兵庫県豊岡市で「全日本身体障害者野球選手権大会」が開催された。
今回は25回目の節目となった大会で特別に結成された選抜チームが、王者と互角の展開を見せた。この2日間で緑のユニフォームには、勝利への執念と団結力そして涙のプロセスが刻まれていた。
(文:白石怜平 以降、選手名敬称略)
地区大会を勝ち抜いたチームのみが出場できる”秋の選手権”
「全日本身体障害者野球選手権大会(通称:秋の選手権)」は毎年11月上旬に行われている身体障害者野球の全国大会で、「NPO法人日本身体障害者野球連盟」に加盟している全国38チームの頂点を決める。
秋の選手権は1999年から開催(2020年は新型コロナウイルス感染拡大により中止)されており、全国7ブロック(※)の地区大会を勝ち上がったチームのみが参加権を得ることができる。
(※)北海道・東北、関東甲信越、中部東海、東近畿、西近畿、中国四国、九州の7ブロック
昨年は身体障害者野球界にとって特別な年でもあった。
9月に「第5回世界身体障害者野球大会」がバンテリンドーム ナゴヤで開催され、日本代表が大会連覇となる4度目の世界一に輝いた。
日本代表は松山と福島で合宿を行うなど活動範囲も広げ、メディアの注目を集めた。本大会も代表選手が多く参加しており、世界大会から2ヶ月弱と余韻が残る中、2日間で計9試合が行われた。
選抜チームは元NPB戦士が率いる「NEXUS」
秋の選手権の舞台は全但バス但馬ドーム。毎年同ドームが会場だが、前年は改修工事中だったため「G7スタジアム神戸」での開催だった。昨年4月にリニューアルオープンし、この場所へと帰ってきた。
また、秋の選手権は25回目の節目を迎えた。記念大会と位置付けられ、例年とは異なる取り組みも行われた。従来は地区大会を勝ち上がった7チームが参加するが、今回はプラス1チーム「ワイルドカード全国選抜チーム」が設けられた。
事前に選手権参加チーム以外の全国30チームから希望者を募集し、この日のための特別チームを結成。実力がありながら全国大会で披露する機会のなかった選手たちにとって貴重なアピールの場になった。
選抜チーム名は”繋がり”を意味する「NEXUS」。選手15名と首脳陣・マネージャー4名の計19人で結成された。そして監督はかつて投手としてロッテと阪神でプレーした林啓介さんが務めた。
現在林監督は東京ジャイアンツでコーチを務めており、プロ8年間(06〜13年)の実績と経験が買われ白羽の矢が立った。
また、林監督は選手選定のポイントについては、「複数ポジションを柔軟に対応できること」であった。野球人として厳しいプロの世界を生きてきた勝負師は、当然ながら勝つことを目指し、チーム編成を進めた。
選抜選手は東北から四国まで所属は全国に散らばっている。約1ヶ月で選定を行い、9月下旬にメンバーを確定。
10月中旬にオンラインでミーティングを行い、主将を脳性麻痺者7人制サッカー(CPサッカー)の日本代表でもあった堀井友哉(滋賀ビッグレーク)、副主将を中川駿(ヤマト和歌山)・藤本寛史(兵庫のじぎく)の2人を選んだ。
2ヶ月でユニフォーム手配まで完遂するスケジュールの中、グループでコミュニケーションを重ねていった。
コーチは中川達也さん(ヤマト和歌山)、林哲也さん(ぎふ清流野球クラブ)が担当した。林さんは世界大会の日本代表でもマネージャーとして合宿からチームに帯同し、時には選手たちにアドバイスを送るなどのブレーン役を担った存在。
NEXUSでは選手たちと積極的に会話しベンチからは真っ先に選手たちを迎えるなど、チームの”兄貴分”となっていた。
迎えた大会当日、NEXUSのメンバーがグラウンドに集結した。
初戦が第2試合に組まれ、第1試合が始まった直後からチーム全体での練習に入った。林監督は当時の様子について、
「リアルでの初対面はぎこちなさがありましたが、試合前の練習で徐々にほぐれてきて良い状態で試合に臨めました」と語り、いよいよ初戦が始まった。
井上選手の打棒と北川投手の好投で初戦突破