
「第32回全国身体障害者野球大会」 香川チャレンジャーズが創部4年目で”史上最速優勝”互いを信じ全員野球で掴み取った初の栄冠
6/1(土)から2日間、神戸市で「第32回全国身体障害者野球大会」が開催された。この大会を制したのは「香川チャレンジャーズ」。創部4年目という史上最短記録で初の全国制覇を成し遂げた。
(写真 / 文:白石怜平、以降敬称略)
21年創部、4年目を迎えた香川チャレンジャーズ
「全国身体障害者野球大会」は例年5月に行われる大会で、”春の選抜大会”とも称される。1993年に第1回が行われてから今回で32回目を迎えた。(※1995年、2020年は開催中止、21年は縮小開催)
全国38チームの中から、前年の地区大会で上位の成績を収めるなどした16チームが選抜され、全国の頂点を競う。
この第32回大会で旋風を巻き起こしたのが「香川チャレンジャーズ」である。

香川は21年に誕生し、連盟加盟も最も新しい(22年1月加盟)38番目のチーム。22年には招待枠で第30回大会に出場し、全国大会への初出場を果たした。
その後もチームは着々と力を付け、昨年秋には中四国大会で準優勝。今年の本大会への切符を掴んでいた。
創設者の元カープ・山中達也代表が昨夏に現役復帰
立ち上げに尽力した一人が山中達也代表である。山中はかつて広島東洋カープでプレーした元プロ野球選手である。06年の育成ドラフト1位で入団。多彩な変化球を武器に支配下登録を目指すも叶わず、10年に戦力外通告を受けた。
その後は地元香川の独立リーグ「香川オリーブガイナーズ」に入団し、NPBへ戻るべく野球を続けていた。しかし、11年8月に一つの大きな出来事が起こった。
海の事故で首の骨を折ってしまい、頸椎(けいつい)損傷の大怪我を負った。
当初は首から下の感覚がほぼなく、指を動かすのもやっとだったところから「まだまだ野球をやりたい」その思いでリハビリに取り組み、約4カ月で自力歩行ができるまでに回復した。

右半身にまひが残り、15年でガイナーズを退団。その後も野球への情熱は消えることはなかった。18年に同じ四国の「徳島ウイングス」の講演を聴いた山中は、四国で唯一香川に身体障害者野球チームがないことを知った。
ここから徳島へ練習見学に足を運ぶなどチーム発足に向け奔走した山中。20年秋に香川で体験会を開催し、この日は80人近くが集まったという。
体験会に集まったメンバーをベースに結成し、「挑戦」を掲げチーム名にも採用した。

山中は当初は代表の立場として、チームの運営を担っていた。ただ、NPB・独立リーグのユニフォームを着てプレーした男を周囲がそのままにしておくはずがなかった。
「関わっているみなさんから『ぜひプレーしている姿を見たいです』・『ぜひ一緒にやりましょう!』という声をたくさんいただきました。そこから僕ももう一度やりたいと思い決心しました」
昨年夏に選手として復帰した山中。カープ時代からピッチングスタイルを工夫した点について問うと、
「怪我をしてから力が入れない部分があるので、球を動かして緩急をつける投球をこころがけるようになりました」と語る。
再び赤いユニフォームに袖を通し左腕を振り続け、チームを地区大会準優勝へと導くとともに本大会でも大車輪の活躍を見せることになった。
王者・岡山桃太郎を破り決勝進出へ
チャレンジャーズは本大会、快進撃を見せた。
兵庫のじぎくを10-0で制すると、2戦目は岡山桃太郎。岡山は昨年本大会と秋に行われる「全日本身体障害者野球選手権大会」でも優勝し”完全制覇”、秋の大会も4連覇中という名実ともに日本一のチーム。
香川も昨年の地区大会で涙を飲んでおり、全国大会の舞台で再戦が実現した。その王者相手に、香川はその名の通り”チャレンジャー”としてぶつかっていった。
岡山先発の浅野僚也を攻め立て、香川打線が6点を奪った。この試合先発マウンドに立った山中は打たせて取る投球で岡山打線を翻弄した。

昨年日本が世界一連覇を果たした「世界身体障害者野球大会」の日本代表5人を要するメンバーを手玉に取り、1失点の完投。6-1で破り昨年のリベンジを果たした。
山中は「この試合で全員の自信につながった試合になった」と語り、また主将の渡邊真之介は「次(決勝)は絶対に負けられない。地区大会でも一緒にやっている岡山さんのためにも優勝しようという気持ちが一層高まった」と、決勝に向けての心境を明かしていた。

決勝戦は最終回2アウトから同点、タイブレークに
そして、決勝戦。相手は北九州フューチャーズとの対戦となった。
北九州は春の選抜大会で優勝4回・準優勝3回を誇っており、主将の竹下祥平は昨年の世界大会の日本代表選手でもある。
王者との戦いを制してもあくまでチャレンジャーであることは変わらなかった。試合は1回表から動いた。香川は初回に平川亘紀のタイムリーなどで3点を先制。

平川は元々未経験であったがチーム入団を機に野球を始めた。全てが0からのスタートから、地道な努力と試行錯誤を重ねて大一番で早速結果を残した。
初回に主導権を握った香川はさらに追加点を挙げる。2死から渡邊が放った大飛球はライトオーバーのタイムリーとなり、激走も見せ三塁打となった。

この試合も先発マウンドに立った山中。ここでも低めにボールを集める制球力を見せ、凡打の山を築いた。タイミングをずらす投球で投ゴロは完投した5イニングで5つを数えた。

4-0で迎えた4回裏、北九州がついに反撃に出る。2死走者なしからチャンスをつくり満塁に。前の試合そして前日も投げ続けており、満身創痍の山中。制球が徐々に定まらなくなり押し出しで2点を返された。
迎えた最終回。マウンドに上がったのはもちろん山中。ベンチから出るとスタンドからの声援も浴び、ゆっくりと歩を進めた。

ここでも北九州は猛攻を見せた。この日の第一試合として行われた準々決勝では千葉ドリームスターを相手に同じ最終回で2点ビハインドから始まり、あと1ストライクから同点に追いつき、タイブレークで勝利を収めていた。
最終回でビハインドでも悲壮感は全くないどころか、4回から徐々に勢いづいていた北九州。一方で全国制覇まであと1イニングと目前まで来た香川。この1イニングは次第に息詰まる接戦へとなっていった。
1死から竹下がレフト前でチャンスメークすると、続く打者で守備が乱れる間に1点を返しついに1点差になるとその後2死満塁に。その後押し出しで同点となり、北九州ベンチが総出で喜びを表した。

なおも続く満塁。勢いは完全に北九州に行っていると誰もが感じたが、山中は「後ろにも、ベンチにもそしてスタンドにもみんないるので、力になりました」と諦めずに腕を振り、後続を抑えて同点にとどめた。
そしてタイブレークは規定に沿い、スタメン9人が並びじゃんけんを行う。ここで先に5勝した香川が勝利を収め、大会初優勝。創部4年目での全国制覇は史上最速という快挙を成し遂げた。
”全員揃ってのチャレンジャーズです”
試合後に表彰式が行われ、打線をけん引した渡邊が最優秀選手(MVP)・マウンドを一人で守り切った山中が殊勲賞に選ばれた。主将の渡邊は試合後、こう振り返った。
「みんなで掴み取った優勝、全員揃ってチャレンジャーズです。取れるアウトを確実にとる。(一昨年の)初出場のときにそれができなかったので、できるようになったのが大きな進歩です」

決勝では三塁打を放ち、貴重な追加点を挙げた。そのことについて触れると、「次の1点ほしかったので食らいついていきました」と語る。
この直後に山中に話を伺った際にも共通していたのがアウトそして1点を”確実に1つずつとる”ことだった。
渡邊は「それを追及しないと我々は勝っていけないと思っています」と述べており、その積み重ねが今回の優勝へとたどり着いた要因となった。

そして、もう一つの共通言語があった。山中も「みんなが一丸になったからこそできた優勝だと思います」と、お互いを信じ・尊重し合う文化が強さを醸成していった。
一つ大きな目標を達成した香川チャレンジャーズ。山中は「連覇できるチームをつくっていきたい」と次なるステップに意欲を見せた。
来年の大会をチャンピオンとして迎えるためにも、この夏の地区大会を必ず勝ち上がらないといけない。チャレンジャーの精神は頂点に立っても不変である。
(おわり)
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