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リオデジャネイロ五輪銅メダリスト・小堀勇氣さん 24年間の競技生活で感じた「最後まで完成はしなかった」その真相と水泳生活のルーツ

「タイムはまだ伸びる」そう感じた中での決断

そしてこの年の10月、24年間続けた競技生活にピリオドを打つことを決断した。その決め手は何だったのか。

「トータルです。ただ、タイムとしては伸びるかもしれない。むしろタイムを伸ばせる自信は実はありました。21年の4月で代表落ちしてから夏に1つ大会に出たのですが、今までと自分が無我夢中で泳いできた部分と、以前から構築してきたの水泳の理論、

”ここを使えば身体をうまく使える”といったことが体現できるになったのが、昨年の4月から8月位までの間でした。なのでこのままいけばもっとタイムを伸ばせるだろうと思っていたんです」

タイムを伸ばせる自信がありながらも、なぜ引退を決めたのか。

「タイムを伸ばすことが、今後の人生にとって必要かと言われるとそれは違うと感じたんです。社会人として働くキャリアというのも考えました。あとは肩を長く怪我していたので、それも考えたときに、トータルで考えて辞めるべき時なのかなと」

仕事面・身体面などトータルで考えて決断した(提供:ミズノ株式会社)

先々の人生も考え、最終的に決断したのは9月中旬、10月に正式に引退表明をした。

3歳から水泳を始めて競技としては24年間プレー。五輪に出場しメダルも獲得するなど輝かしい実績を残した。しかし、それでも意外な言葉が出てきた。

「悔いは今でもありますし、考えるとすごくたくさん出てきます。泳げばもうちょっとタイムが伸ばせると感じていた中でしたから。

それを線引きするというのはすごく苦しかったし、水泳しかやってなくてそれがピタッと止まったときに、自分がどう生きていけばいいのかという不安もありました。今でも仕事でプールに行くと”泳ぎたいな”と思う時もあります」

”まだ伸びる”・”これからどう生きていくのか”

そんな思いや状況が絡む複雑な状況の中で下した決断。最後に現役生活とは何であったかを改めて振り返ってもらった。

「完成しなかったと思います。例えていうとダルマの最後に目が入っていない状態です。でもそれがいいのかもしれないです。ただ、この2年間感じたのは、インターハイとか全国大会がなくなってしまった方たちがたくさんいらっしゃいます。

自分の意志などとは関係なく目の前から消えてしまった訳ですよね。それを見ると心が痛いですし、むしろ僕は自分で決断できた訳ですから、幸せなことなのだと思います」

まだ”ダルマの片目”は塗られていない(提供:ミズノ株式会社)

現在は、ミズノのコンペティションスポーツ事業部のマーケティング部に所属し、水泳担当として全国を回っている。行った先々でコーチや生徒から質問や講演の依頼を受けるなど、知名度と実績を活かし新たなフィールドでも輝きを放っている。

「今は今でやるべきことがたくさんあります。任せていただいていることもたくさんあります」

胸を張って第二の人生に真剣に向き合うその表情は勝負師の顔そのものだった。片目が塗られていないそのダルマは、小堀さんの挑戦の証でもあった。

(おわり)

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