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リオデジャネイロ五輪銅メダリスト・小堀勇氣さん 24年間の競技生活で感じた「最後まで完成はしなかった」その真相と水泳生活のルーツ

かつて競泳日本代表として2度の五輪(2012年ロンドン・2016年リオデジャネイロ)に出場し、リオ五輪では男子800mリレーで銅メダルにも輝いた小堀勇氣さん。

昨年10月に現役生活にピリオドを打ち、現在は所属先であるミズノで水泳に関する業務を担当している。本編では現役生活について振り返ってもらった。

>前編はこちら

(取材協力 :ミズノ株式会社 文:白石怜平)

原点は「過呼吸になり途中棄権」を繰り返した小学生時代

石川県能美市出身の小堀さんは、3歳から水泳を始めた。お姉さんがやっていたことがきっかけで、自身も地元の能美スイミングクラブに通い始めた。

競泳生活の原点となったのは引退表明時に寄せたコメントでも語った小学生時代。競技会に出場し始めた3年生のころ、レースで緊張しすぎて過呼吸になり、途中棄権してしまうことが続いたのだという。

「緊張しすぎて普通に(レースの途中で)何度も止まるんです。床に足をつくと失格になってしまうので、記録として残らない。そんなことが20回中20回とか本当に続いていました。

それでも、次の日練習があったら自然とプールに行っていたのです。なので、泳ぐのは好きで続けることは全く苦ではなかった。試合になるとどうしても緊張してしまいましたね」

意外にも始めは緊張で棄権していたという

レースでは緊張してしまうものの、練習は継続していたためメキメキと上達していた。ここから克服への道が拓かれていった。

「練習でもタイムが上がっていったので、前よりも速くなっている実感が持てました。『俺できるよな』と思えてから、試合になるにつれて何とか克服したい想いが強くなりました。

そのためにとことん泳ごうと思って、『休みは要らないから練習させてほしい』と。小学校の時に365日だったら360日くらいはやっていました。それだけ克服したいという気持ちがあったので。完全に克服できたのは小学校6年生の時でした」

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