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リオデジャネイロ五輪銅メダリスト・小堀勇氣さん 24年間の競技生活で感じた「最後まで完成はしなかった」その真相と水泳生活のルーツ

ジュニア記録を次々と更新 ”北陸の怪童”を襲名

中学進学後も周囲を凌駕する練習量でさらに実力を伸ばしていった。次々と中学記録を更新し、3年時の08年、世界ジュニア選手権の800mリレーでは銅メダルを獲得した。

次第にその活躍ぶりは全国に広がり、”北陸の怪童”としてその名を轟かせていく。卒業間近の09年1月に行われたジュニアパンパシフィック選手権では、200mバタフライに出場し金メダルに輝いた。

「ちょうど身長が伸びる時期が早く、体の成長に合わせてハードなトレーニングもできたので、タイムが伸びていったと思います。あとは誰よりも泳いだという自負もありました」

金沢高校2年時の10年には、中国・広州で行われた第16回アジア大会に最年少選手として選出。個人では200m自由形、リレーでは800mリレーに出場した。

以降は自由型とバタフライを得意競技とし、シニアでの日本代表に名を連ねていった。

12年ロンドン・16年リオと2大会連続で五輪出場

日本大学入学してすぐの12年夏には、ロンドン五輪日本代表にも選ばれ800mリレーに出場。誰もが憧れる世界最高峰の舞台に立った。

ここではメダル獲得とはならなかったが、ジュニア時代から国際大会など大舞台での経験を多く重ねてきた小堀さんにとっては、大きな緊張もなく臨めたという。悔しさの中に、次のリオへと目標がすぐに切り替わる出来事があった。

「すごく覚えてる言葉がありまして、ロンドン五輪の400mメドレーリレーで日本が銀メダルを獲得したのですが、メンバーの1人が尊敬する先輩の藤井拓郎さんでした。

表彰式後にメダルを僕のところに持ってきてくれて、首から下げていて『あぁ肩凝るわ〜メダル重いぞ〜』って言っていたんです。あの言葉がずっと残っていて、『次、自分も獲りたいな』って思った瞬間でした」

リオデジャネイロまでの4年間、小堀はその実力にさらに磨きをかけていく。13年の200mバタフライで日本選手権初優勝を飾ると、翌14年のアジア大会では800mリレーで金メダルを獲得。名実ともに日本を代表する選手へと駆け上がっていた。

2度の五輪出場と日本を代表する選手へと駆け上がっていった(提供:ミズノ株式会社)

16年4月、大学を卒業し現在も所属するミズノに入社。そして4年前から目指していたリオデジャネイロ五輪代表へ順当に選ばれた。

「ロンドンに降り立った時、会場の至るところにかかっていたオリンピックの装飾を見て、『オリンピックってすごいな』と少し興奮していたのですが、リオの時はロンドンの経験を踏まえて戦えたというのがすごく大きかったです。世界水泳や日本選手権とあまり変わらず平常心で挑めました」

小堀さんは前回同様、800mリレーに出場した。松田丈志選手・萩野公介選手・江原騎士選手という錚々たるメンバーと共に臨み、その力をいかん無く発揮。64年の東京五輪以来52年ぶりとなる銅メダルの獲得に大きく貢献した。

「一緒に泳いだ3人すごい先輩と後輩、同級生がメンバーで『本気でメダルを獲りに来た』という気持ちで試合に臨むことができました」

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