「年齢を重ねてもアクティブな世の中に」鈴木啓太が描いた世界とAuB設立のルーツ〜連載インタビュー第1回〜

”自分は挑戦したい”その想いに懸けた

16年1月に引退会見を終え、「AuB 鈴木啓太」として本格的に第一歩を踏み出した。しかし、最初は逆風からのスタートだった。

SNSやインターネットでの否定的な意見、そして周囲からも反対の声があったという。

「最初は『そんなところに手を出さないほうがいい』『騙されているんじゃないか』などと言われたり、まぁすごかったですね(苦笑)

始めてから『皆さんそういうことで言っていたんだろうな』と僕も腑に落ちてはいくのですが、それよりも”自分は挑戦したい”という想いの方が強かった。『やってみなければわからない』と。ただ、今振り返れば皆さんの方が全うな意見・評価だったのかなと思いますね」

現在は33競技750人以上のトップアスリートから検体を集め、合計1700検体以上にのぼるなど、世界でも類を見ない企業として評価を高めている。

意外にも感じた「皆さんの方が全うな意見だった」という言葉。その真意をさらに聞いた。

「だってめちゃくちゃ大変ですもん(笑)0から創り上げていきますし、心配してくださるという意味でも的確だったなと。ただ、今でも思ってるのは『僕は僕のやりたいことをやってる』ということです。

やはり腸内環境の大切さを皆さんにも知っていただきたいですし、発信することが僕の役目だと思っています。なので、僕は懸けただけなんです」

周囲の意見を理解しながらも意思を貫き行動した

”出る杭は打たれる”

大きな挑戦をするにおいて、もはや宿命とも言えるこのフレーズ。本来は素晴らしいことで賞賛されるべきものであるが、そこには嫉妬や心配・固定観念などネガティブな感情がどうしても混ざり、矛先を向けられてしまう。

鈴木にとって、それはサッカーを始めた時にも同じ経験をしていた。冷静に分析を交えながら語った。

「僕は小中高とサッカー選手を目指してやっていましたが、大抵は『なれないよ』『どうせ無理だよ』などと”ドリームキラー”的に言うわけですよ。それでも”なりたい!”って思ったからこそサッカーを続けることができた。

その当時は僕も若かったので、『絶対見返してやる』という気持ちは持っていました。けれども、経験を重ねるにつれて周囲が言う意図も理解できるようになりましたし、だからこそ僕は負の感情ではなく、『理解いただけるように伝えていく』そう思っています」

さまざまな逆風を切り裂き、新たな挑戦が幕を開けた。

(続く)

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