元プロ野球選手・喜田剛が振り返る10年間の現役生活。才能開花した広島時代と最後の年に受けた白井監督の教えとは?

現在アンダーアーマーの総代理店である株式会社ドームで、コンシューマーマーケティング部のチームリーダーとして活躍している喜田剛氏。

ドーム社に入社する前は阪神や広島などセパ4球団を渡り歩き、プロ野球選手として10年間プレーした。阪神時代の4年間を経て、広島移籍後にその実力にスポットライトが当たる時が来た。ここではバッティングでの迷いの日々を交えて振り返った。

(取材協力:アンダーアーマー 取材 / 文:白石怜平)

07年途中、指揮官から”直接オファー”で広島へ

阪神では5年間で1軍の出場試合数は8試合ながら、05・06年にファームでは2年連続2冠王とアピールは続いていた。

そして6年目の07年、厚い壁に阻まれながらも腐ることなく猛練習と結果で示してきた喜田にようやく転機が訪れた。それは、広島への遠征で二軍戦に出場していた時のことだった。

「広島市民球場でカープとタイガースの親子ゲームがあった時でした。午前中に僕がファームで試合に出ていたのですが、3連戦で12打数4安打、本塁打3本打ったんですね。最後の日にファーストを守ってたら、『喜田さん!喜田さん!』って言ってる人がいて。

最初ファンの方だろうなと思っていたんですけども、1塁ベンチを見たらブラウン監督だったんです。『喜田さんカープに来て!』って試合中に言っていたんですよ(笑)。そこから1週間も経たないうちにトレードになりました」

5月21日にトレードとなり、翌日の交流戦初戦であるオリックス戦(京セラドーム大阪)でブラウン監督は喜田を早速スタメンに起用した。

「トレード当日に記者会見してその日は移動日だったのですが、次の日の交流戦1戦目からスタメンで使ってもらいました。そこでも打てたんですよ。移籍して最初の5試合位も打ち続けたので、気持ちも落ち着いてきましたね。チームの一員になれた実感と『1軍でやっていける』っていう自信が湧いてきました」

広島での初打席初安打を皮切りに、その後もスタメン出場を続けた。5月30日のロッテ戦(広島市民球場)では、当時のエース・清水直行からプロ初本塁打も放った。

広島への移籍が転機となったと語る

6月11日のオリックス戦(同球場)では初のサヨナラ打も放ち、お立ち台にも上がった。一時は打率3割を超えクリーンアップも務めるなど、この年だけで67試合に出場し指揮官の期待に応えた。

さらに翌年も66試合・09年には自己最多の78試合に出場し、1軍での出場機会を掴んでいった。

「カープではブラウン監督をはじめ、首脳陣・選手みんなポジティブでした。見逃し三振をしても『はい次!、切り替えて!』と言ってくれましたし、空振り三振しても『あのスイングでボールに当たったらスタンド行ってるよ』と言ってくれたので。

批判する訳では全くなく、今では笑い話なのですが、阪神では厳しい環境で4打数4安打を打って怒られたこともありましたから(笑)。チームのカラーがそれぞれある中で、僕にはカープのカラーが合っていたのだと思います」

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