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”ダブルアニバーサリーイヤー”福岡ソフトバンクホークス 球界のモデルケースになった歴史と30年以上大切にしているホークスの伝統

球界屈指の人気球団である福岡ソフトバンクホークス。今年球団創設85周年とドーム開業30周年のダブルアニバーサリーイヤーである。

福岡へと本拠地を移転後、プロ野球における地域密着の先がけとして九州に根付き、その間に球界のモデルケースとして一早く取り組んできた。

ここでは、ホークスが福岡で行ってきた取り組みや思想を通じて歴史を振り返る。改めて広報担当の池田さんにお話を伺った。

(表紙写真コピーライト:©SoftBank HAWKS 文:白石怜平)

約30年の時を経て実現したホークスの世界観

前2回でお送りしたPayPayドームや「BOSS E・ZO FUKUOKA」ら一帯からなるまちづくり。実は、30年ほど前から既にホークスではこの構想が練られてたことが度々報じられている。

93年、福岡ドーム(現:PayPayドーム)がオープン。前身のダイエー・中内㓛オーナーはさらにリゾートホテル、そしてレジャーや複合商業施設のドーム型施設「ファンタジードーム」を建設する「ツインドーム構想」を打ち出していた。

しかし、バブル崩壊後の不景気がダイエーの経営状況に影響を与えるなどもあり、ファンタジードーム建設は98年に断念。00年に複合商業施設のホークスタウンとして生まれ変わり、ダイエーは3つの経営を一体となって行っていた。

現在ドームは球団が所有し、ホテルは「ヒルトン福岡シーホーク」、ホークスタウンは三菱地所が運営する「MARK IS 福岡ももち」と変遷しているが、池田さんはかつてダイエーの抱いていた構想を踏まえ、

「球場周辺でまちづくりをしていくというのは、当時のダイエーさんが考えられていたイメージと、我々が行っていることが一緒であるとすごく感じています。それは球場を中心としたエンターテインメントで人が集まる場をつくりたい。その想いが今もその昔も変わらなかったのだと思っています」

と語った。ホークスを福岡へと導いた男が平成初期に抱いた野望は「BOSS E・ZO FUKUOKA」へと形を変え、令和の時代についに現実となった。

ホークスは30年以上も前から常に未来を見据えていた ©SoftBank HAWKS

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