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「僕の第2の人生としても活かせる場所は北海道」谷口雄也さん 現役最終年の葛藤とファイターズでの第二の人生を始めるまで(全5回 #4)

球団に”直談判”し、第二の人生もファイターズで

そして次なるフィールドもファイターズだった。22年1月から今年開場した「ES CON FIELD HOKKAIDO」の運営などを行う「株式会社ファイターズ スポーツ&エンターテイメント」の事業統轄本部に所属。

新球場開業に向けてからのPR業務、北海道の野球普及に向けた活動としてベースボールアカデミーのコーチを担当している。実はこのポジション、自ら”直談判”して掴みにいったものだった。

「最終戦から1ヶ月近く経とうとした頃、球団のところに行って僕が『ファイターズでお仕事ができる可能性はありますか』とストレートに言いに行ったんです。

当時関東住まいだったのですが、『職場が北海道になってもいいか』と聞かれたので、もちろん大丈夫ですと即答しました。それがなかったら僕は今何していたのだろうとゾッとしています(笑)」

自らの”アピール”で勝ち取ったポジションでもあった

11月30日のファンフェスティバルで引退セレモニーが行われるため、谷口さんは札幌ドームに姿を見せていた。その時に球団から正式に現在のポジションのオファーを受けた。

実は、この時心の中で感じていたことが現実になったと語っていた。

「選手としては数字だけ見たら特筆した成績は本当に残っていないです。でもそれ以上に、『谷口雄也』という選手を、北海道を中心にたくさんのところで『頑張ってね!』『応援してるよ』とずっといただいていました。

なので僕が輝ける場所、僕の第2の人生としても活かせる場所というのは北海道なのではないかなというのも正直思ってたところがありました。こうやってファイターズの一員としてまたお仕事ができるのはすごく嬉しいんです」

”必ずやり通そう”と決めてやり抜いたこと

谷口さんの主体的な行動から得たポジションであるが、当然誰もが”やりたいです”と言って叶うものではない。谷口さんが現役時代から大切にしてきた”立ち振る舞い”というのも、大きな要因だったのではと自身でも振り返る。

”きゅん”という愛称で親しまれる甘いマスクでだけではなく、ファンに対する姿勢、マスコミに対する姿勢などその真摯な人柄も多くの人の心を掴んできた谷口さんの魅力である。

「僕は膝の手術をした後から、リハビリで鎌ヶ谷のグラウンドに行くにいつも一番に来てたんですよね。これは必ず最後までやり通そうと思ってたので。寮生が朝起きて体操しているぐらいの時間に合宿所に来て、一番にグラウンドに降りてというのは最後までやり通した自負がありました。

なので、何かそういう点も球団の方が見てくれていたかもしれません。僕としても計算というつもりではないですが、試合に出ていなくてもしっかりと準備をしている姿を少しでも評価いただけたらいいなというのは考えていました。もちろん準備は自分が野球で結果を残すためではありますが」

”誰よりも早く球場に来ること”は引退まで継続した

22年1月5日、谷口さんは”新入社員”としてデビュー。採用が決まったのが11月末ということもあり、年末は慌ただしく引っ越しなどの準備をし、迎えた新たなステージだった。

つづく

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