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「自分の身の振り方を考えないといけないと感じた」北海道日本ハムファイターズ 谷口雄也さん 大怪我による手術・長期のリハビリで起きた心身の変化(全5回 #3)

北海道日本ハムファイターズで11年間プレーし、現在は株式会社ファイターズ スポーツ&エンターテイメントで事業統轄本部に所属し、PR活動などを行っている谷口雄也さん。

16年の日本一に貢献し、翌年からの外野のレギュラーを期待された。しかし、実はすでに満身創痍の状態でもあった。手術・リハビリを行った17年からの2年間を振り返った。

>第2回はこちら

(取材協力:ファイターズ スポーツ&エンターテイメント、文:白石怜平)

16年春の守備中に起きたアクシデントがきっかけに

16年はスタメン・代打の両方で出場機会を増やし、キャリアハイの83試合に出場。チームの日本一にも貢献した谷口さんは17年にさらなる飛躍を目指した。しかし、飛躍とは逆に代償が重くのしかかるものだった。

「16年の春ごろに外野を守っていて、フェンスをよじ登って着地をしたときに右膝が内側に入った感じがありました。ただ、ずっと一軍に帯同しているので離脱はしたくない。

序盤に陽岱鋼選手が怪我で登録抹消になってから僕がスタメンで出続けていたのですが、その時も膝はすごく痛かったんですね。ただ、ここで離脱はできないなと思いサポーターをしながら何とか頑張っては出ていましたが…」

8月頃に痛みが引き、シーズンは何とか完走できた。ただ、膝が抜ける感覚があったということでトレーナーとも相談し、前十字靭帯に異常があることは把握しつつも、周囲の筋肉を鍛えて補う方向でシーズンオフを過ごした。

迎えた17年の春季キャンプ。サポーターとテーピングで固めて臨んだ。アリゾナでの一次キャンプを終えて帰国した矢先に膝と皮膚が悲鳴を上げていた。

「日本のグラウンドは下が柔らかいから良くなるかもねって話をしてた矢先に、毎日のように巻いてたテーピングが巻けなくなるぐらい皮膚がかぶれてきてしまったんですね。ユニフォームも着れないほどだったので、腹を括って休む時間を作ることにしました」

日本一までの激闘の中、大きな怪我を負っていた

改めて診察に行くと、医師から言われたのは衝撃の一言だった。

「ドクターからは『このまま続けて菌が入ってたら足を切断するかもしれません。何でこんな状態までやったんですか…』って言うわけですよ。

でも僕としては、16年のシーズンオフに陽選手が巨人に移籍してポジションが空きました。そのポストを何としても奪いに行くというのがあったので、離脱するなんて考えはどうしてもできなかったんです」

谷口さんは球団と話し合い、まず怪我を完治させることで合意。改めて検査を行い、前十字靭帯損傷という診断結果だった。

前十字靭帯は大腿骨(太ももの骨)と脛骨(すねの骨)の間にあり、脛骨が前へ出ないように抑える靭帯。関節内にあり血流が少ない箇所のため、損傷などが起こると自然治癒は望めない箇所になる。

再建には腱の移植といった手術に加え、長期のリハビリを要するため競技復帰までは半年以上はかかる大怪我である。今後の選手生命を考えての決断だった。

3月に手術。長いリハビリの始まりに

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