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清原和博氏「復活!その先へ…」子どもたちに向けて贈った身体づくりと技術のアドバイス〜特別講演会第一部 後編〜

大切と語る素振り。清原氏は高校3年生になってから夏の大会までの約4ヶ月間、毎日300回の素振りを続けたという。以前手記を読んだという加藤氏が伺うと、当時を振り返った。

「自分が3年生の春の選抜の時にですね、伊野商業(高知)の渡辺智男投手(元西武・ダイエー)に3三振。それもファールチップもない全部空振りで力負けでした。初めてその時に挫折を味わったかもしれません。

それが悔しくて、涙が止まらなくて。その日の夜から夏の甲子園が終わるまで300スイング絶対すると自分で決めました。練習で疲れてしんどいなと思う時もありましたが、それでも自分で決めたことだからと思い、夏の甲子園決勝戦の前日まで1日も欠かさず300スイングしました」

その結果、85年夏の甲子園では決勝の宇部商業(山口)戦で同点本塁打を2本放つなど1大会5本塁打を記録。この試合実況した朝日放送の植草貞夫アナウンサーの「甲子園は清原のためにあるのか!」という名台詞は今も語り継がれている。

「日々の努力の積み重ねがあったからこそあの場面で打てたのだと自分は思っています」と清原氏も誇りを持っている。甲子園通算本塁打13本と大会100回を超える歴史の中で1位の大記録。

そんな男の話題は尽きない。同年準々決勝の高知商業戦、”甲子園史上最大”とされる推定飛距離140mの特大弾を放った際の話も披露した。

「あれは3年生での夏の甲子園初の1本だったのですが、相手は高知県代表の中山(裕章:元大洋・中日ほか)投手で、145キロ以上投げてくるピッチャーでした。中山投手がストレートの握りを見せるんですね。直球勝負だということで。

その戦いというか、あの時のバットは今でもあるんですけども、甲子園で新品のバットを下ろしたんですが一発でバットがへこみまして。それだけすごかった。自分にとっては生涯トップ5に入るスイングだったと思います」

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