
西武ライオンズ 眞山龍さん “ライオンズ一筋25年”から振り返る「よりチームの結束力が高まった」期間とは?
今季、多くの若手選手が一軍で躍動している西武。選手のみならず指導者やスタッフの成長を球団を挙げて促進し、チーム全体で発展するよう日々前進している。
その全体を統括しているのが、ここまで登場いただいた眞山龍・本部長補佐。今年から同職に就任した眞山さんは、選手・スタッフとして25年にわたりライオンズを支えている。
最終回は、眞山さんが描いてきたこれまでの軌跡と自身のビジョンについて語ってもらった。
(取材 / 文:白石怜平)
マネージャー時代から活きている「監督像の理解」
眞山さんは仙台育英高3年の99年、エースとして夏の甲子園に出場を果たす。同年ドラフト2位で西武に入団し、05年までプレーした。
引退後は一軍・二軍のサブマネージャーやマネージャーを歴任。23年からのファーム・育成ディレクター補佐を経て、25年より本部長補佐に就任した。主にファーム全体の統括を行っており、選手・スタッフ両方の育成を担当している。
球団に関わる人たち全体を見る立場になった今、マネージャーや育成ディレクター時代のどんな経験が活きているかを訊いた。
「マネージャーは監督と携わることがすごく多い立場です。スケジュールを決めたり、選手の入れ替えや遠征の準備などチームが“動くべき”時に動かす役目だと思い取り組んでいました。
監督と密にコミュニケーションを取る立場なので、例えば『辻(発彦)監督はどういう報連相を求めているのかな』などと、監督像を理解することに努めていました。
今の仕事はさらに全体を見る必要があるのですが、球団の方向性を整えて落とし込む時にその監督像を理解していればお互いの認識に齟齬は出にくいので、マネージャー時代の経験が活きていると思います」
20年以上にわたり一・二軍を問わずチームを支えている眞山さん。08年の日本一や18・19年の連覇、そして昨年の低迷など栄光も苦労も近くで味わってきた。
そんな長きにわたって携わる中で、印象的な出来事は何か。数ある中から挙げてくれた。
「世界中が影響を受けたコロナ禍での日々です。私はあの時一軍マネージャーをしていたのですが、あれは本当に大変でしたね」
20年に襲った未曾有のウィルス。開幕は延期となりチーム活動が中断されるどころか外出も自粛せざるを得ない状況で、先の見えない日々を全世界の人々が送ることとなっていた。
「急に世界がパニックになりましたよね。もう一度動き始めた時期が一番大変でした。チームとして動いていながら制限されることがたくさんある。
月一回のスクリーニング検査を行うと、無症状でも陽性反応が出て何人も離脱してしまって誰かを昇格させないといけない。ただ、ファームでも陽性者が出てしまって昇格させようにもできない。そんな時期でしたね」

それでも数々の苦難を乗り越え、シーズンを完走。以降22年までその時々の状況に合わせながらの対応だったが「あの20年はチームとして結束力がさらに高まった時期だった」と回想した。
「自分にとってもマネージャーという業務に慣れていましたが、改めて緊張の糸が引き締まった期間でした。チームそして人の命を守らなければならないと考えていましたから。感染者を出さないようにどうするかを毎日悩んでいましたし、まさに激動のシーズンでした」
今年から新たに育成の全てを見る立場となり、これまで以上に視野を広げながらチーム全体の底上げを図っている。自身が描く未来のビジョンについて最後に語ってもらった。
「今の自分のモチベーションは選手そしてスタッフの成長です。選手が成長するには、支えるコーチとスタッフの成長が欠かせないです。チームが勝つために選手とコーチ、スタッフがお互いに意見を言い合うこともそうですし、お互いに成長する過程をみんなで考えながら前進していきたい。
そのためには、各々が考え抜かなければいけないですし、獅考トレーニングによる言語化を継続しています。この言語化ができる選手が一人でも増えていけばチームは必ず強くなると感じています。私は育成を統括する立場として組織全体が強くなる基盤を作り続けたい想いです」

眞山さんを始め、球団が一枚岩となって創っている“育成のライオンズ”。
今季結果を残しながら経験を積んでいる若獅子たちが更なる成長を果たし、ファームから新戦力が台頭するサイクルが確立されようとしている。
(おわり)
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