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名前がコールされ悲鳴も…石井丈裕 早実時代の下積みと消えなかった勝負師の炎「まだまだ勝負してみたかった」

入学後から怪我に悩まされた石井であるが、少ないチャンスの中でもアピールを続けた。2年時、チームがベスト8入りした82年の選抜大会では、登板機会はなかったがベンチ入りを果たしている。

3年夏も東東京大会から登板し、甲子園でも1回戦の宇治戦(京都)で荒木の後を継いで登板。ついに憧れのマウンドに立つことができた。

続いて準々決勝では、水野雄仁(元巨人)・畠山準(元横浜ほか)ら擁する池田高校(徳島)と対戦。石井は荒木をリリーフしマウンドに上がった。

しかし、水野に満塁本塁打を浴びるなど強力”やまびこ打線”を抑えることができず、悔しい結果となり高校野球生活を終えた。

「もちろん大輔がいたので、いいところで投げることはなかったですが、練習試合で遠征に行った時や東東京大会、あと甲子園でも投げることができた。良い経験・貴重な経験をさせてもらいました」

さまざまな経験を今は子どもたちに還元している

自らの故障、そして全国区のスターという大きな壁を隣で感じながらも、己の実力で甲子園のマウンドへ上がるまでに這い上がってきた。だからこそ、石井はここで終わることなどできなかった。

「自分の体ができていないことがわかっていたので、とにかく勝負をしてみたかったんです」

怪我が治ればもっと実力を発揮できる、もっと高いレベルでもやれる可能性がある。家族も石井の想いを後押ししてくれた。

「高校で終わっていたら、怪我ばかりだったと今でも未練が残っていたと思います。今でも親はすごいなと思うのですが、自分が納得行くまでやらせてくれました。

縁あって私はプロへの道が開けましたが、目一杯やれたら違う職業に行ったとしてもすぐ切り替えられたと思います。本当に親には感謝しています」

そして、石井の次のフィールドは六大学の舞台へと移っていく。

つづく

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