
名前がコールされ悲鳴も…石井丈裕 早実時代の下積みと消えなかった勝負師の炎「まだまだ勝負してみたかった」
大ちゃんフィーバーの裏で起こった”え〜”事件
上述の通り、荒木・石井の代は1年の夏から3年の夏まで全5回甲子園の舞台に立った。
荒木は甲子園での大活躍はさる事ながら、その爽やかなルックスも相まって女性ファンから絶大なる人気を集めた。練習や移動のバス、試合会場では常に荒木を一目見ようと女性ファンが集まる社会現象にもなった。
さらに、”大輔”が当時の新生児名前ランキングの1位に上がる(ちなみに松坂大輔もその一人)など、”大ちゃんフィーバー”が巻き起こっていた。
世間の大注目を浴び続ける中、その荒木の控えであった石井はグラウンドに入ろうとするファンを制止する係も務めたという。
野球においても、訊く側も辛くなるほどのエピソードを明かしてくれた。
「私も投手なので、大輔と一緒に走るじゃないですか?すると大輔目当ての女の子が写真を撮った時に『あー、あの人も入っちゃった』って聞こえるんですよ。”あの人”っていうのが私ですよ(笑)」
さらに、試合でマウンドに上がる大事な時にも追い討ちをかけるような出来事が。
「地方で遠征に行くと、大体ダブルヘッダーなんですよ。大輔が2試合とも毎回投げるわけに行かないので、1試合は私が投げさせてもらう時があったのですが、『先発ピッチャーは石井くん』ってコールされると”え〜!”って球場全体から言われるんですよ。試合前にあれはヘコみましたよ(笑)」

石井もここでは”自虐ネタ”として語ってくれたが、嫉妬などは全くなかった。過去の取材でも「周囲の方たちに気を配れるのがすごいと思った」と語るなど、実力だけでなく人間性でも荒木をリスペクトしている。
荒木の当時の状況を慮るだけでなく、ファンの気持ちも察する石井の人柄をここで垣間見ることができた。
「それはしょうがないですよ。ファンからしたら大輔を撮りたいんですもん。ただ、あの時の大輔フィーバーはすごかったですからね。だって新宿なんて歩けないですから。ファンがたくさん来ちゃいますし。なので大輔も辛そうでしたよ。ただ、私は精神的に強くなりました(笑)」
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