いわきFC 誕生のルーツはビジョンの共感 「市民に愛されるスポーツ団体をゼロから創る」〜いわきFC 特別連載企画(第1回)〜
最初にできた方針「フィジカルスタンダード」
なぜ興味が沸いたのか。01年にセレッソ大阪のチーム統括ディレクターを務めてからクラブ運営に携わり20年、長く務めて感じた違和感から生じたものだった。
「Jリーグの掲げているビジョンとは違う『昇格したい』『降格してはいけない』といったことが先行していました。本来目指すべき地域に根付くことや選手の質向上なども含めて、長いこと一生懸命やってきたつもりだけど”今一つしっくりこないな”というのが自分の中であったんですよ」
かねてから興味があった「ゼロからチームを創る」こと。そして被災地であるいわき市がドーム社のDNAを注入することで、新しい何かが生まれるのではないか。そんな期待が不安を上回っていった。
「選手の質という面で、ビジョンの1つがまず”フィジカルスタンダード”になりました。体を鍛えなければいけないっていうのは前から思っていたけれども、練習の後となるとチームとしてはできない。予めビジョンをしっかり持って取り組んだら最初からできるじゃないかと。
ノウハウはドームにある。ヨーロッパのサッカー選手たちもフィジカルを鍛えている事は分かっていましたし、何か面白いことできそうだということで、ビジョンがまず1つできました」
決意が固まった大倉は、15年にベルマーレがJ1残留したのを見届けて退団。そして16年シーズン、新生いわきFCが息吹きを上げ歴史の1ページが開かれる。
(第2回へ続く)
※取材協力 / 写真提供:株式会社いわきスポーツクラブ