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釜石シーウェイブス 佐伯悠 運命に導かれた”ラグビーの街”釜石への縁「シーウェイブスに憧れ、釜石で人を育てるサイクルに」

主将1年目を迎えるシーズン、東日本大震災に

苦手なタックルを克服し、更なる成長を期した2011年、3月11日に東日本大震災で被災してしまう。

街が津波で飲み込まれる様子を避難した高台から目の当たりにし、自身も前編で語った津波に巻き込まれる可能性もあった。

約2ヶ月間はチームで支援活動を行なった後、5月に活動を再開。そこでこのシーズンから主将に任命された。

実は前年のシーズン終了後にも池村から打診を受けていた。しかし、前任者はオールブラックスの一員でもあったピタ・アラティニ。「荷が重いです」と言い断っていたという。

しかし震災が起き、街の様子を見て「もうラグビーはできないと思った」そう感じていた中で、再びチームがグラウンドに集まった。そこで、もう一度打診を受けた。

ラグビーができる喜びを全身で感じていた佐伯に断る理由などなかった。

「もう何でもやらせてくださいと。チームが求める事は何でもやりました。私とあと長田剛さんというRWC2019の釜石誘致に尽力した方がいたのですが、長田さんがいるのも心強かったです」

震災からちょうど半年が経った9月11日、トップイーストリーグが開幕。

秩父宮ラグビー場で行われた日野自動車(現:日野レッドドルフィンズ)戦、代名詞である大漁旗が大きく風を切った。

2011年は主将としての1年目だった(提供:釜石シーウェイブスRFC ※右から2人目)

佐伯にとっては、特にこの初戦に加えて2戦目のクボタスピアーズ(現:クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)との試合が今でも当時のことを思い出すという。

「クボタは当時、トップリーグから降格した年で再昇格に向けて相当気持ちが入っていました。そんな相手に大善戦ですよ。最後の最後までワントライ・ワンゴールで逆転するような試合で。未だにあの試合を見ると泣きそうになるんですよ」

そんな激戦を戦い抜いてこのシーズンは6勝3敗と勝ち越しを決めた。翌12年年も6勝3敗、13年には7勝2敗と着々と成果を挙げ3シーズンの主将を全うした。

3年間を佐伯は「周りに本当に助けていただきました」としながら、こう振り返る。

「悩んだこともたくさんありましたが、成長にすごくつながった3年でした。いろいろな方と話す機会が多かったので、しっかり自分の考え方を整理する意味でもキャプテンをやってよかったですし、チームのあり方を改めて考えさせられる3年間でした。学ぶことが多かったです」

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