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釜石シーウェイブス 佐伯悠 運命に導かれた”ラグビーの街”釜石への縁「シーウェイブスに憧れ、釜石で人を育てるサイクルに」

12年間を通じての”最大の後悔”

主将を現ヘッドコーチの須田康夫へ引き継ぎ、佐伯は選手として更なるステップアップを目指した。15年からは兼任コーチに就任し、指導者としてのキャリアも並行して開始した。

しかし、プレーを続ける中で体は悲鳴を上げる。膝の故障の影響で年々パフォーマンスが低下していった。17年もレギュラーとして出続けるも満身創痍の状態だったという。当時の葛藤を語った。

「1試合出たときに何もできず、自分に腹が立つ思いをしたのが初めてでした。こんなに自分はできないんだと。もちろん膝が悪かったのですが、何か言い訳をつくってしまった年でした。ただ、シーズンが終わった瞬間に『どうせ辞めるなら完全燃焼したい』そう思ったんです」

18年シーズンに向けて、故障の治療と体づくりを0からやり直し、コンディションを整えた。「春からものすごい調子よかったです」と語った通り、パフォーマンスは戻り、結果も残し手応えを感じていた。

そしてこの年、翌年のW杯に向けて「釜石鵜住居復興スタジアム」が竣工。「鉄と魚とラグビーの街」と称される釜石市の新たなシンボルが完成した。

佐伯もこのスタジアムでプレーすることを大きな目標にしていた。しかし8月19日、こけら落としであるヤマハ発動機ジュビロ(現:静岡ブルーレヴズ)との記念試合、メンバーには佐伯の名前がなかった。

この試合に出場したい想いを強く持っていた佐伯はショックを表には出さず、来るべきチャンスのために準備を重ねた。

「前年の悔しさがあったので、ここで腐らずにとにかく1年やり切ると。そういう覚悟を持って最後までずっといい状態をキープしていました」

しかしこのシーズン、リザーブ含めラインナップに名を連ねることはなかった。ここで引退することを決めた。

「元々、公式戦で1試合も出れなかったら引退しようと決めてスタートしたのですが、結果出れなかったので。唯一現役の時に後悔が残っているのが鵜住居復興スタジアムでラグビーができなかったことでした」

「釜石に行ってシーウェイブスでプレーしたい」と思えるチームに

現役生活12年、シーウェイブス一筋でプレーし、釜石への愛着も強く抱いている。スタジアムでは横に並ぶ迫力ある大漁旗が選手の大きな力になっている。佐伯も”日本一のサポーターです”と胸を張る。

「サポーターの方と交流した中で最も嬉しかったのは『一緒に頑張りましょう』と言っていただいたことです。クラブチームはみなさんに支えていただいてこそ成り立つチームなので、辛い時も楽しい時も”一緒に”というのがとても心強かったです」

引退後はコーチ、スタッフと形を変えてチームに携わっている(提供:釜石シーウェイブスRFC)

そして、今もスタッフとしてシーウェイブスがさらに魅力あるチームにするために全力でサポートしている。シーウェイブスの未来について最後にこう語った。

「私としては、岩手県中の高校生・大学生そして強豪校の選手が『釜石に行ってシーウェイブスになんとしても行きたい』と思ってもらえる魅力のあるチームになっていかないといけないと思ってます。

後は釜石を常に発信し続ける。震災もありましたが、やはりチームが強くなるということで日本中の方が認知してくれるようなチームならなければならないと思います。もう三陸と言えばシーウェイブスですよ」

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