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「Matsui 55 Baseball Foundation」設立のルーツ(後編)松井秀喜さんと初めて言葉を交わし、提案したリーグチャンピオンシップの試合前

「アメリカ人と同じことをやっても生き残れない」アイデアのきっかけ

日本を問わず世界各国でプロアスリートがさまざまな社会貢献活動を行っている。特にアメリカでは現役・OB問わず、アスリートが応援してくれた感謝の気持ちを表現する場として、ファンに向けて還元する活動がより活発に行われている。

松井さんと共にヤンキースでプレーしたデレク・ジーターさんやマリアノ・リベラさん、そしてバーニー・ウィリアムズさんもファウンデーションを立ち上げ、ファンの方々へ還元する活動を現役時代から行っている。

白井さんもアメリカで仕事をする中でこのような情報を積極的に吸収していき、松井さんへの提案に繋がった。

最初に行ったのが、今のファウンデーションの元である「Hideki Matsui’s International Friendship Program」。松井さんの故郷石川県と拠点を置くニューヨークの子どもたち同士の交流だった。

子どもたちに向けた交流が現在も活動の源になっている

ここで、人材交流というアイデアに至った経緯を白井さんに訊ねた。

「僕が日本人としてアメリカのチームで働かせてもらう中で、どんな貢献ができるのかを考えたとき、アメリカ人と同じことをやっていても生き残れないと思っていました。選手と同じで、我々もレイオフは当たり前の世界。

組織で役に立てなければクビになるのは当たり前ですから、その中でどう自分なりの存在価値を出していくかを考えた結果、人材交流・国際交流という発想が浮かんできました」

交流を日米の両名門チームで主力として活躍する松井さんだからこそ、さらにその影響、価値は計り知れない。1Aも当時ニューヨークを本拠地に置いていたため、地理的な面も実現に向けて大きなアドバンテージとなった。

「松井がヤンキースに来て活躍し、しかも僕が勤めていた1Aのチームも拠点がニューヨークでした。縁あって同じ場所にいるので、ぜひ一緒に活動したいと思って直接提案にいきましたね」

そして、上述の04年のリーグチャンピオンシップでの試合前のやりとり、そして15年のファウンデーション設立へ至り今へと繋がっている。

次ページ:松井さんの地道な活動が強いメッセージ力に

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