身体障害者野球日本代表・小寺伸吾 左手首切断から名門チームのスラッガーへ。2年間のリハビリに希望を照らした身体障害者野球との出会い
初の日本代表では不完全燃焼に
日本代表の指揮官は当時神戸コスモスでも監督を務めていた岩崎廣司監督。小寺の活躍を毎週見ており、「お前だったら狙える」と夢ではなく目標にさせてくれた存在だった。
しかし、そこでは持ち味の打撃は影をひそめ、本来の活躍はできなかったという。チームは世界一に輝いたが、複雑な心境で輪に入っていた。
「(自身が出場した)最初の大会ではほとんど何もできなかった。優勝チームにたまたま居させてもらったという感覚でした」
気持ちを切り替えて第5回の代表でもリベンジを果たそうと、4年先(実際は新型コロナウイルスの影響により1年延期)を見据えた。しかしその矢先、かねてから闘病していた岩崎さんが他界。
「ここまで育ててくれたのは岩崎さんのおかげ」と今でも語る恩師と悲しみのお別れをしなければならなかった。また、翌年からは新型コロナウイルス禍に見舞われ、満足に練習することもできなくなるなど逆境が続いた。
それでもコスモスは21年の春の全国大会では準優勝を収めるなど奮闘。小寺にも22年末に代表入りの通知が届いたのだった。
(つづく)
【関連記事】
”もうひとつのWBC”「第5回世界身体障害者野球大会」日韓戦最終回の攻防にあったピンチを乗り越えるカギとは?