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身体障害者野球日本代表・小寺伸吾 左手首切断から名門チームのスラッガーへ。2年間のリハビリに希望を照らした身体障害者野球との出会い

神戸コスモスに入団、念願のグラウンド復帰へ

その後、社会復帰に向けたリハビリが始まった。手を動かしてみるところから始め、その苦労が話から伝わってきた。

「手が動くはずやのになんぼ力を入れても動かないんですよね。先生の指示通りに毎日毎日やって。自分の手やのにそうじゃない感覚で、他人の手を念力で動かすような感じでしたし、脳からの信号を送っても届かない、そんな日々でした。コツコツ2年続けていきましたね」

2年という長いリハビリの期間は手が思うように動かない葛藤との闘いでもあったが、それでも活力になったのが野球の存在だった。

「早く野球がしたいというのが、大きなモチベーションにはなってましたし、そこがやっぱ大きかったですね。本当に大きかったです」

グラウンドに戻りたい想いがリハビリの原動力になった

リハビリ中にキャッチボールや素振りなども行うまで回復し、15年にはついに社会復帰。同時に地元にある名門・神戸コスモスに入団した。コスモスは81年創設の身体障害者野球のルーツとなったチーム。

日本身体障害者野球連盟が発足した93年以降、毎年春と秋に全国大会が行われており、コスモスは春優勝18回・秋優勝16回という圧倒的な強さを誇る。入団した時の印象を語った。

「もう高校時代の部活を思い出したというか(笑)。毎週日曜日に朝から日が暮れるまでみんなヘトヘトになるまでやっているし、高校の部活みたいですよ」

11月の全国大会にも出場した神戸コスモス

元々自信を持っていたというバッティングでは、再開後に手の状況を考慮して右打ちから左打ちに転向した。毎週猛練習を重ね、全国大会の常連チームとなっているコスモスで小寺はすぐに頭角を表した。

ただ、復帰したと言えども手首の動きは以前ほどではないかつ、打つ方も逆に変えている。そんな中で名門チームでレギュラーを張り続けるために早速緊張感の中でプレーしていた。

「コスモスで活躍するにはもう練習するしかないなと思って毎晩やりました。毎日素振りしたり、バッティングセンターに通ったりなど、チーム以外の練習をしないといけない。日曜日みんなでやるのは、平日の自分の練習の成果を出す。そこで結果を出せて始めて練習試合に出れるし、レギュラーになれるという状況でしたから。みんながそういう意識でやっていましたね」

コスモス入団後に左打ちへ転向した

小寺の持ち味は、広角に打ち分け外野の間を鋭く抜けるバッティング。チームではリードオフマンやクリーンアップも担う。

最初はインパクトの際に痛みを感じるなど、手首に影響があったという。練習を重ねる中で、痛みの出ないポイントや力の入るポイントなどを試行錯誤しながら模索した。

「自分のポイントを掴むのに3年かかりました。ちょうど前回の世界大会に選ばれた辺りでしたね」

コスモスではセンターでレギュラーを掴むと瞬く間に中心選手となった。全国大会の舞台でも出場経験を重ね、17年に秋の全国大会で優秀選手賞を受賞。ついに障害者野球世界大会の日本代表へと選出された。0

初の日本代表では不完全燃焼に

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