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「第5回世界身体障害者野球大会」名球会 福本豊さん×山田久志さん 身体障害者野球を通じてそれぞれが感じた、”活力”と”感動”

9月9日〜10日、バンテリンドーム ナゴヤで行われた「第5回世界身体障害者野球大会(WORLD DREAM BASEBALL、以降WDB)」。

大会には福本豊さん・山田久志さん(共に元阪急ブレーブス)が登場し、華やかに盛り上げた。

プロ野球の歴史に名を刻み、かつ”同期入団”でもある2人。福本さんは開会式で大会開催を祝い、そして山田さんは閉会式で大会を講評した。

(協力:日本プロ野球名球会 写真 / 文:白石怜平)

身体障害者野球誕生のきっかけとなった”世界の盗塁王”

福本さんは松下電器(現:パナソニック)から1968年ドラフト7位で阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)に入団。

主に1番・センターとして活躍し、72年にはNPB史上唯一のシーズン3桁盗塁となる106盗塁、そして通算1065盗塁は現在もNPB記録。シーズン・通算ともにリッキー・ヘンダーソン選手(元アスレチックス他)に破られるまで世界記録だったことから、”世界の盗塁王”と称された。

打撃でも通算2543安打を記録し、名球会入り。2002年には野球殿堂入りを果たしている。

身体障害者野球は福本さんがきっかけで誕生した。阪急は社会貢献活動に積極的に取り組んでおり、福本さんはかつて神戸市西区にあった肢体不自由者医療施設「のじぎく園」に、山田久志さんらと共にルーキー時代から毎年訪問していた。

現役時代から社会貢献活動には熱心に取り組んでいる

のじぎく園に通っていた故・岩崎廣司さん(NPO法人・日本身体障害者野球連盟 前理事長)との交流がルーツとなった。

「阪急での1年目の時からお付き合いがあってね。野球を一緒にやろうという話になって『野球は外でするもんや!』って、無理矢理連れて行ったんですよ。

そしたらそこからみんなハマってくれてね。『やっぱり野球面白いなぁ』・『やっぱり野球は外でやるもんやね』ってなったんですよ」

元々野球が大好きで長嶋茂雄さんの大ファンでもある岩崎さんは、福本さんとキャッチボールなどの交流を通じ、野球への熱意が高まっていく。81年に身体障害者野球チーム「神戸コスモス」を立ち上げた。

プエルトリコ代表は岩崎さんに敬意を表し、背中に「IWASAKI」と記したウェアを着用した

福本さんは身体障害者野球の誕生から関わり、選手たちとも交流を深めてきた。間近で接する中でかけてもらった言葉が今も心に残っている。

「身体障害者野球の大会や試合があって、自分が出て野球ができる。選手たちから『野球ができるから、頑張れるんですよ』って言ってもらった時は心がグッときましたよ。

みんなと交流することでね、『俺たちもがんばらなあかんな』ってね。身体障害者野球の選手たちが、野球の練習しながら頑張っている姿も見るとね、逆にハッパかけられますよ。元気をもらいます」

その活動は全国へと広がり、93年には連盟が発足。現在は38チーム、競技人口も1000人に届こうとしている。

長きにわたり選手たちとの交流も深めてきた

「楽しい思い出をつくってください」大会で伝えた言葉

福本さんは現在連盟の名誉理事長を務めており、WDBでは開会式に出席。大会副会長として挨拶した。

「皆さん。野球は楽しいですか?今日明日この二日間楽しい思い出を作って頑張ってください」

とマイクの前でエールを贈った。

大会副会長としてメッセージを贈った

昨年秋の全国大会の際にインタビューした際、身体障害者野球そしてWDBについてこう語っている。

「僕はいろんな人にこの野球を見てほしいって絶対思いますね。世界大会もあるので、とにかく見に来てほしい。それだけです」

その想いも通じ、大会には2日間で9000人が訪れた。スタンドには日本代表の応援団が結成され、選手一人ひとりを鼓舞。選手の横断幕も数多く掲げられていた。

スタンドには横断幕も掲げられた

球場を訪れた方達は、日本代表だけでなく参加した韓国・台湾・アメリカ・プエルトリコの選手にも温かい拍手と声援を送り続けていた。

”史上最高のサブマリン” 山田久志さんが語った印象

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