ミズノ・藤田真之介さん「当時中学1年生ですごい選手がいる」 池江璃花子選手の復活を支えた絆のストーリー(前編)

19年、驚きを超えた病魔の宣告

藤田さんの言葉通り、池江選手はスターダムの階段を一気に駆け抜け、その実力は世界中の注目を集めるほどにまでなっていた。

16歳で初出場したリオデジャネイロ五輪(16年)では、日本人選手最多となる7種目で出場を果たし、100mバタフライでは5位に入賞。

17年の第93回日本選手権では女子史上初となる5冠を達成し、18年の第94回大会では出場4種目で計6個の日本記録を更新。同年の第18回アジア大会では史上初となる6冠を達成する活躍で大会最優秀選手(MVP)にも選ばれた。

この時点で、20年(新型コロナで翌年に延期)に行われる自国かつ池江選手の地元でもある東京五輪で金メダルを獲得というシナリオを誰もが確信していた。

しかし、19年2月に日本のみならず世界中に衝撃のニュースが走った。

「池江璃花子 白血病で入院」

TVのニュースでも速報で各局が報じ、翌日のスポーツ紙各誌も1面で掲載した。12日に池江選手本人からTwitterで公表後、日本水泳連盟による緊急記者会見が行われた。

藤田さんを含めミズノ社員には会見の直前に伝えられたという。当時のリアクションからも突如突き付けられた事実が想像に追いつかないことは明らかだった。

「白血病だと聞きまして、『白血病って何?すぐ治るやつだよね?』とか思ってしまったぐらい受け入れられなかったです。何を言っているのかと。でも段々分かってくるわけですよね。

我々が知ったのは記者会見の直前でした。『契約していただいているので事前にお話ししますね』ということで教えていただいたのですが…」

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