「自分自身にテーマを課す」元プロ野球選手・喜田剛が明かす競争社会を生き抜いた”術”

現在はアンダーアーマーの総代理店である株式会社ドームで、コンシューマーマーケティング部のチームリーダーとして活躍している喜田剛氏。

ドーム社に入社する前は阪神や広島などセパ4球団を渡り歩き、プロ野球選手として10年間プレーした。弱肉強食のこの世界、どのようにして10年もの間生き抜いたのか当時の苦労を交えて語った。

(取材協力 :アンダーアーマー 文:白石怜平)

若手時代、競争社会の中で味わった苦労

福岡大から01年ドラフト7巡目で阪神に入団し、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせた喜田。まず出た言葉は「とにかく悔しい、辛いでした」というフレーズだった。

ファームで過ごしていた当時、1日中”野球漬け”の日々を送っていた。シーズン中は午前中から練習で昼過ぎから試合、終了後に特打特守を行い、20時半ごろまで夜間練習というスケジュールをほぼ毎日過ごす日々だった。

苦労したのは肉体面だけではなかった。プロ野球は競争社会。70人という支配下選手の枠があり、9つのポジションを争いしのぎを削る。

結果を残せなければ、秋には戦力外通告により12球団で100人前後の選手がユニフォームを脱がなければならない。

そしてその競争は2月1日から始まる。シーズンで1軍登録メンバーは通常29人(※)だが、キャンプは約40人でスタートする。すると11人がふるいにかけられ、一人一人と2軍落ちを通告される。

(※)20年からは新型コロナウイルスの感染拡大に伴う負担軽減のため31人に拡大

一軍登録29人で計算すると投手が13人・捕手が3人で16人。内外野のポジション7つを合わせると23で残りは6人。そこに代打の切り札を加えると実際には4〜5の枠を野手の約20人ほどで争うという過酷な競争をしている。

喜田は精神面での苦労を語った。

「登録枠から考えて何が起きるかと言うと、下から自分が何番目かを数えてしまうんですよ。特に若い頃ですね。『〇〇が打ったから自分が打たないといけない』とか考えてしまうんです。本来は軸をぶらさずに自分がやるべきことをやればいいんです。ただ、外部からの情報が様々なことで軸をぶらしてくるんです」

競争社会ならではの苦労を語った

結果や周囲に関係なく、自分の立てたビジョンや計画を貫き通す。これは重要ではあるが、継続することがとても難しい課題であることを痛感させられる。

特に阪神は在阪メディアでは取り上げられない日はなく、一つ一つが大きく報道される。そういった情報も嫌でも本人の目や耳へと入ってくるため、精神面のコントロールは簡単にできるものではなかった。

「新聞の1面にライバルが掲載されたとか、どこか1行に監督が自分に対して苦言を呈した内容が書いてあるとか…3年目ぐらいまでは、本当に(自分の軸)がブレブレで自分のバッティングを見失う。そして2軍に落とされるというの繰り返していましたね」

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