現役引退を表明したニック・ファジーカス 「この決断は悲しいことではない」チームの合言葉に込めた想いと日本代表に残したものとは?
ファジーカスが日本代表で残した”レガシー”とは
続いて日本代表についての話題に。ファジーカスはBリーグのみならず日本代表としても多大な功績を残した。
18年、日本国籍を取得したファジーカスは代表の救世主となった。19年開催のW杯への出場を懸けたアジア地区予選では4連敗。日本はまさに崖っぷちの状況だった。
W杯そして東京五輪で開催国枠での出場も危ぶまれた中、当時ゴンザガ大の八村塁(現:レイカーズ)と共に代表へ合流。6月29日、当時世界ランク10位のオーストラリア戦で25得点を挙げ、79−78で勝利を収めた。
ここから地区予選を怒涛の8連勝と突き抜け、13年ぶりとなるW杯の出場権を掴み取るだけでなく、東京五輪の開催国枠も得ることとなった。
ファジーカスは日本代表に貢献できたことについて誇りを持っている。自身がチームに浸透させたものを語った。
「僕の視点では貢献できたと思う。僕はチームに”自信”を植え付けることができたのかなと思っています。当時の代表について(川崎の)チームメイトと話していても『今日も20点差で負けるよ』などと、誰も代表に自信を持っていなかったし、誰も期待をしてなかった。
僕自身は立ち止まってた代表の最初の一歩を踏み出せたと思うし、僕の使命はワールドカップに行って五輪に行くことだと思っていたので、その使命は達成できたと思う」
また、印象に残っている試合については自身が代表として初めてプレーしたオーストラリア戦。日本に帰化して初の試合、ファジーカスにとって「自分がプレーしてきた中でも一番いい試合だった」と語る。
ここが始まりとなり上述の快進撃を呼び込んだ。ファジーカス以降、日本へ帰化し代表で活躍を見せる選手が続いていった。植え付けた”自信”の他にも、切り拓いた道は大きなものだった。
「僕が始めたことをジョシュ・ホーキンソン選手(サンロッカーズ渋谷)が受け継いでくれていると思います。僕の帰化後に勝ち始めたことから、(今の)日本代表のストーリーが始まっているのではないかと感じています」
上のオーストラリア戦で共にスターターとして出場するなど日の丸では仲間として戦った比江島慎(宇都宮)は、この日プレシーズンゲームにてコートで対峙。
試合後にファジーカスの引退について問われると、
「彼が日本バスケ界に与えてくれた影響は計りしれないと思う。(19年の)中国W杯に導いてくれたのは彼なので。今は彼がいなくなるBリーグを想像できない」と、その引退を惜しんだ。
10月7日、ホームのとどろきアリーナで”NICK THE LAST”の幕が開く。出陣式で「僕自身のすべてを懸けてこのチームを頂点に連れていくというのが目標です」と語っており、チームは「All-In」のスローガンの下、有終の美としてレジェンドを最高の形で送り出す。
【関連記事】
「次はブレイブサンダースさんだね」。ベイスターズから転身した営業マンが”川崎のシンボル”に向けて取り組んだこととは?
”24時間365日川崎にコミット” ブレイブサンダース 生粋の川崎人が掲げるキーワードは「スポンサーアクティベーション」
川崎ブレイブサンダース 地域とのコミュニケーションが創る絆「スポーツの域を超えたまちづくりに関わっている」