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プロ初打席で受けた栗山監督からの”謝罪” 北海道日本ハムファイターズ 谷口雄也さん 入団時に西川遥輝と語り会った日々から一軍デビューまで(全5回 #1)

西川遥輝選手と日々振り返った1年目のキャンプ

そしていよいよ始まる1年目(11年)のキャンプ。高校通算44本塁打を放ったパンチ力のある打撃を引っ提げて臨んだが、早くもプロの壁にぶつかった。

「最初は全くやっていける感覚がなかったです。1月に合同自主トレがあってその時は外でバッティングはなく、室内練習場でティー打撃程度だったので、どれだけ打球が飛ぶのかは分からなかった。

いざキャンプに入ると高校生のときは金属バットでしたが、プロになってからは木のバットに変わるので、始めは全然外野に打球が飛ばなかったです」

1年目のキャンプでの苦労を語った

当初は外野の芝と土の境目くらいまでしか打球が行かず、ファームのキャンプといえども自身の予想とは離れ、ショックを受けたのは想像に難くない。同じ高卒ルーキーだった西川も同様だったそうで当時のことを思い出しながら語った。

「西川と『プロ野球ってやばくない…?』というのを話してましたし、キャンプの練習が終わったら毎日のように2人で『今日どうだった?』みたいなすり合わせをしてたのを思い出しますね(笑)」

当時の一軍の選手たちも見渡すと野手は稲葉篤紀や金子誠、糸井嘉男そして前年打点王の小谷野栄一、投手にはダルビッシュ有が絶対的エースとして君臨し、武田勝やこの年セーブ王を獲得した武田久など錚々たるメンバーが揃っていた。

「すごいところに来たなと。正直このままで大丈夫なのかとずっと思っていましたね。テレビで見ていた人たちと一緒に野球をするっていう感覚が全くなくてですね、もうお客さんのような感覚でした。

アマチュアのときはある程度上のレベルでやってきたこともあり、変なプライドも正直あったと思うのですが、”こんなんじゃ駄目だ”とあっさりキャンプで鼻をへし折られましたね」

基礎から鍛え、1年目ながらファームで最多出場に

谷口さんは1年目、捕る・投げる・打つといった基礎のレベルアップから開始した。朝早くから日が暮れるまで、食事の時間以外は全て練習するなど文字通り野球漬けの日々を送った。当時のことも鮮明に覚えている。

「とにかく練習するしかない。早く周りに追いつかないといけないというのがありましたので、言ってしまうと泣きながら練習していたような記憶がありますね」

1年目の苦労を振り返った

それでも必死に喰らいつき、コーチの方々も親身になって向き合ってくれた。当時ファームの大村巌打撃コーチや川名慎一外野守備走塁コーチから技術を吸収していった。その時の辛かった想いが話からも垣間見えた。

「コーチのみなさんからは、『この3年間頑張らないと、後の野球人生はないんだぞ』っていうのはずっと言われ続けて。同じ年齢の人たちは大学生で例えば夏休みに遊びに行くとか、自分の時間があることがすごく羨ましく思いました。

でも、自分の置かれている立場はそうじゃないんだというのを自覚できました。そう感じながらもとにかくきつかったんですけどね(笑)。

プロ野球選手のレベルに上がっていくまでにすごく時間がかかったと感じました。泣きながら練習していたと思います」

そんな必死な姿勢を見ていた五十嵐信一監督ら首脳陣は試合で積極的に起用。ファームではチーム最多の100試合に出場し、規定打席にも到達した。

12年、優勝争い真っ只中で一軍初昇格

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