「自分は神戸にこだわっているんです」元オリックス・小川博文さん 現役生活16年で得たものとずっと持ち続けている”神戸愛”
オリックス・横浜(現:DeNA)でプレーし、現在はバファローズジュニアの監督を務める小川博文さんのコラムはついに最終回。
連覇以降も活躍を続けるも、01年からは神戸を離れもう一人の名将・森祗晶監督の下でプレーすることになる。その後の現役引退となった決め手、そして引退後帰還し今も拠点を置く神戸への熱い想いを語っていただいた。
(取材協力:オリックス野球クラブ 文:白石怜平 ※写真は2022年撮影)
黄金時代の敵将・森祗晶監督に請われ新天地へ
96年に神戸で日本一を達成後も、レギュラーとして試合に出場し100試合を割ることはなかった。ただ、打撃成績が下降傾向になる時期もあるなど、経験を積んできたからこその壁に当たりつつあった。
「連覇以降ある程度僕も年齢を重ねてきて、00年になった辺りに自分の中で考える部分も多くなった。プロ野球選手ってこういう壁にぶつかる時期があるんですよ。なので、(01年に)一度環境を変えてやって、V字の下がっている部分を自分で転換しに行くと言いますかね、そんな時期でした」
そして2000年のシーズンオフ、3−3のトレードで横浜(現:DeNA)ベイスターズへ移籍。思い出の深い神戸、そしてブルーウェーブへ別れを告げた。
新天地での指揮官は小川さんもよく知るあの名将だった。
「監督が森(祗晶)さんですからね(笑)。僕らがいつも対戦相手として見ていた相手ですから」
森監督は巨人軍V9時代の正捕手で、かつ西武の監督として9年間で8度のリーグ優勝・6度の日本一を成し遂げ、黄金時代を率いた。
対戦相手として見ていた小川さんのプレーをかねてから評価し、就任にあたり貴重な戦力として招き入れた。同じユニフォームを着た森監督の印象について語った。
「森さんは本当に選手を大事にしていました。言葉は少なかったかもしれないけども、『一緒に飯食おう』とか声かけてくれましたし、疲れが出ていたら『整体師呼んでるからちょっと診てもらいな』などと、ケアにも気を配ってくれました。開幕前になれば、ベテランや主力集めてみんなで食事してね。すごく気を使ってくれましたよ」
実際に野球をする中でも、仰木監督らとの違いも感じながらプレーしていたという。
「森さんの野球は本当に手堅い野球でしたね。ものすごく石橋を叩く。こういうケースだったらとイメージしたらサインが違ったりなど、新しい発見になりました」
原動力になったファンの声援と恩師の心意気
この年は、三塁手のレギュラーとして131試合に出場。15本塁打・65打点といずれもキャリアハイの数字を残した。小川さんにとってはオリックス以外のチームかつ初のセ・リーグでありながら、見事に適応してみせた。
「移籍して1年目が一番大事なんです。そこで結果を出せたら『やっぱり力あるし獲ってやってよかった』と思ってもらえるかはその先を左右しますから」
そして、ベイスターズファンも小川さんを快く迎え、声援を送り続けていた。その声はしっかりと耳に届いていた。
「移籍してもファンのみなさんから応援の言葉をいただいたんでね。そこで頑張れた。調子が上がらない時は叱咤激励もされましたが(笑)」
また、小川さんが力になったもう一人、応援してくれる方がいた。
「あと何が頑張れたかと言うとね、仰木さんが01年で退任した後にわざわざ宜野湾キャンプに顔出しに来てくれたんですよ。シートノックやっている時にグラウンドに降りてきてくれて。『頑張ってるな!』って握手してそのまま去っていったんです。
後で奥様から聞いたんですけども、『今日小川いるから行かなあかんなぁ』って来てくれて。それがすごくありがたかったですよ」
現役16年で「野球においての財産ができた」