• HOME
  • 記事一覧
  • 野球
  • 「バッティングをもっと勉強したい」中日・和田一浩 新コーチ 今も続く打撃への探究心と自身のフォームの変遷(後編)

「バッティングをもっと勉強したい」中日・和田一浩 新コーチ 今も続く打撃への探究心と自身のフォームの変遷(後編)

時間を使わず”シンプルに”助言の真意

実際に取り組むにあたり、どこに影響があったのかを問うと”全部変わりましたね”と即答し、こう続けた。

「要するに時間が変わりますので。オープンスタンスだったら、時間をかけてタイミング取るのがスクエアですと時間を使わないんです。落合さんはそこを求めたんですよね。『自分の使える時間をたくさん取るためにスクエアにしろ』と」

一度足を広げて構えてからの再度大きな修正となったが、抵抗はなかったか。ここも深く伺ってみると、謙虚さと前向きさを持った和田の人柄を垣間見ることができた。

「戻すのは苦労しなかったです。逆にそれをやることによって成績も出ていましたし、”さらに打ちたい”となるんですね。なので新しいことにどんどん挑戦していきましたし、その点を考えると周りの助言を受け入れる耳は持てていたと思います」

アドバイスには真摯に耳を傾け、吸収していった

改造1年目から早速結果に表れ、さらに足を狭めた3年計画の2年目(2010年)はキャリアハイの成績をマークする。打率.339・本塁打37本・打点93と、チームのリーグ優勝に貢献し38歳にしてMVPを獲得した。

そして最後3年目の11年、この成績からさらに伸びていく期待がかかったシーズンであったが、打率.232・本塁打12本・打点54とまさかの急降下となってしまった。この3年を改めて語ってもらった。

「取り組んでいる途中でキャリアハイの成績が出ましたが、本当は2011年に完成して一番良い成績が出るイメージだったんです。落合監督とも『3年かけてやらなきゃ無理だぞ』と話していましたが、本来であればまだ上がってく予定が…というところでした」

3年目の11年、野球界で起きた大きな出来事の1つとして統一球の導入があった。反発係数が抑えられた新球では大半の打者の成績が大きく下がる事態となり、当時物議を醸していた。その影響はやはりあったのか。

「確かに飛ばなかったですね。本当に飛ばなかったです。打つ方もでしたが、特に外野で守っていても感じました。追いつかないと思ったけど”あれ?落ちてきた”ってシーンが何度もありましたから」

フォーム改造した3年間を振り返った

次ページ:「最後まで会得はできなかった」

関連記事一覧