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「バッティングをもっと勉強したい」中日・和田一浩 新コーチ 今も続く打撃への探究心と自身のフォームの変遷(後編)

来シーズン、中日の1軍新打撃コーチに就任する和田一浩氏。15年に引退してから約7年間は解説や少年野球の指導、そしてプロ野球OBクラブの一員としてさまざまな角度から野球に携わってきた。

実は、和田氏にはプロ野球OBクラブ協力の元、YouTube撮影時にインタビューの機会をいただいていた。

今回は来年から指導する打撃について、中日移籍後の落合博満監督とのやりとりなどを交えてお届けする。

>前編はこちら

(取材協力: 日本プロ野球OBクラブ、文:白石怜平、以降敬称略)

08年からは憧れの中日ドラゴンズでプレー

07年オフにFA宣言をして中日に移籍。岐阜県出身の和田にとって、少年時代から応援してきた球団であり、当時主砲として君臨していた落合博満監督のもとでプレーする縁に恵まれた。

08年、セ・リーグ1年目。和田は西武時代同様、主に5番を打ち136試合に出場。打率も.302をマークし新たな環境でもアジャストした。ただ、出てきたのは意外な言葉だった。

「1年目は少し苦労したと思います。投手の違いってのはそれほど感じなかったんですけども、未経験の投手がすごく多かったので、それで苦労したのだと思います。2年目で、ピッチャーのボールとイメージが一致するようになってからは苦労しなかったですね」

その発言通り、移籍2年目の09年は本塁打29本と前年の16本から2倍近くに増やし、打点も74といずれも前年を上回った。打率も同じ.302とさらに対応して見せた。

プロ野球OBクラブの撮影にて中根仁氏(元近鉄・横浜)と打撃について語り合う

落合監督からの助言により、3年計画でのフォーム改造

実は、この09年から和田の打撃フォームにおける3年計画が始まっていた。

代名詞だったオープンスタンスの幅を徐々に狭めていくという改革が行われたのだ。これは、指揮官からの助言によるものだった。

「落合(博満)さんには、『このままだと打てなくなるから少しずつ直せ』と。『3年かけて、スクエアの形で完成させろ』とアドバイスいただきましたし、僕自身もしっかりと取り組まなきゃいけないと思っていました」

では、なぜ変えようと思ったのか。08年に3割・16本塁打をマークと記したが、レギュラーに定着した02年から首位打者を獲得した05年までは平均で打率.320、本塁打30本以上をマークしていた。

06年以降、打率や本塁打の数字が徐々に落ちてきていることは自身はもちろん、落合監督も感じていたことだった。

落合監督の勧めにより3年かけてフォームを改造した

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