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西武・石井丈裕 「タケと心中」した日本シリーズと舞い上げた”でっかい花火” 92年激闘の記録

荒木大輔と最高峰の舞台で”再会”

そして、迎えた92年の日本シリーズ。翌年も同じ顔合わせになるのだが、このシリーズは30年経った今でも、多くのエピソードが各所で語られるほど伝説となった名勝負である。

「常勝西武vsID野球」として、森祗晶監督と野村克也監督の「知将対決」や、伊東勤と古田敦也の「森と野村の代理戦争」などと、開催前からメディアを大きく賑わせていた。

この年、常勝軍団のエースとして臨む石井にとっても特別なシリーズとなった。これには特別な理由があった。それはヤクルト・荒木大輔の復活である。

石井も、「意識はすごくしました。当然です。ただ一緒の試合で投げ合わなくて良かったなと(笑)」と当時を振り返った。

日本シリーズという最高の舞台で荒木大輔と”再会”した

荒木は早稲田実業高校時代の同級生。チームを全5回甲子園に導き、そのルックスで多くの女性ファンを虜にした”大ちゃんフィーバー”を巻き起こし社会現象となるなど、人気と実力を兼ね備えていた。

その後ドラフト1位でヤクルトに入団。87年に10勝を挙げエースとしての階段を登っていた矢先、88年途中に右肘側副靭帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けた。

途中、再びトミー・ジョン手術を受けるとともに椎間板ヘルニアと計3度の手術を受け、長いリハビリの日々を送っていた。

一方の石井は高校時代、荒木の控えとして3年間を過ごし甲子園で登板したのは3年夏。その後大学・社会人で実力をつけ、プロの世界で輝きを放っていた。

荒木が約4年にも亘る長いリハビリ生活を乗り越え、92年9月24日に感動の復帰登板を果たした。石井も荒木を電話で激励するなど2人は絆で結ばれていた。

このシリーズでは石井が第3戦と第7戦、荒木は第2戦と第6戦に先発した。

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