• HOME
  • 記事一覧
  • 野球
  • ブルーウェーブ日本一から25年 色あせない”がんばろうKOBE”の記憶 小川博文氏「神戸市民と一緒に勝ちとった優勝」

ブルーウェーブ日本一から25年 色あせない”がんばろうKOBE”の記憶 小川博文氏「神戸市民と一緒に勝ちとった優勝」

「がんばろうKOBE」市民と共に掴んだリーグ優勝

その後球団を通じて選手が全員無事であることを確認し、予定通り2月1日から沖縄・宮古島でキャンプイン。チームメイトと顔を合わせ安堵感がありながらも、複雑な思いの方が強かった。

「被災された方や街の様子を思うと『自分たちは野球をやっていていいのか』と。仰木(彬)監督からは『とにかくキャッチボールからでいい。今は体ができていなくてもいからゆっくりやろう』と言っていただきました」

シーズンも一度は神戸以外での開催も検討された。だが、宮内義彦オーナーの「こんなとき神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」という強い想いもあり、オープン戦から予定通り神戸で開催した。

4月1日の開幕戦、本拠地グリーンスタジアム神戸(現:ほっともっとフィールド神戸)には3万人を超えるファンが駆けつけた。スタンドの光景を見渡し、自然と心が奮い立った。

”神戸市民と共に戦う”

ユニホームの袖に「がんばろうKOBE」を刻み特別なシーズンが始まった。

チームは6月から大きく加速する。9日に7連勝し、首位を奪い返した。7月22日には早くも優勝マジックが点灯するなど独走体制に入る。

しかし、マジック1で迎えた9月14日からのホーム残り4連戦。1勝でもすれば優勝を決められる中でまさかの4連敗。神戸での胴上げを逃してしまった。

「地元で優勝を決める」これが逆にプレッシャーとなり、普段通りのパフォーマンスを発揮できなかった。それでも神戸のファンの方々は選手たちに大きな拍手を送った。ファンの温かさを胸に、ナインは所沢へ向かった。

そして9月19日、西武球場でのライオンズ戦。4-3で勝利し、ブルーウェーブとして初のリーグ優勝を果たした。小川もこの試合、2安打1打点で勝利に貢献している。

「とにかく『神戸の街を元気にするんだ』と。自分たちだけじゃなく、市民の皆さんや被災された方々全ての人と一緒になって戦うという思いでやっていました。僕らの後ろには(神戸の)皆さんがついている。本当に背中を押してもらいました」

日本シリーズの相手は野村克也監督率いるヤクルトスワローズ。ID野球と心理戦に翻弄されてしまい、初戦から苦戦を強いられた。それでも小川は意地を見せる。

3連敗で大手をかけられた第4戦。0-1とリードを許した9回表、0点で終わればシリーズ敗退というまさに崖っぷちの中、この回先頭打者として打席に入った小川は完封目前の相手先発・川崎憲次郎から同点本塁打を放つ。延長に持ち込み、12回に勝ち越して一矢を報いた。

「僕の中ではもう1回神戸に帰りたいというのがありました。あの時は無心で打ったホームランでした。振り抜いて手ごたえも十分だったのですが、ただ観客が多くてどこに飛んだか全然わからなかったんですよ(笑)審判の方が手を回してて初めて分かったくらいでしたから」

当時を振り返る小川博文氏

しかし、結果はこの1勝のみに終わり、シリーズ制覇には届かなかった。

この年、小川は120試合に出場し打率.272。二塁を中心に内野全ポジションを守りながら、1番以外の打順を全て務めた。

「地元神戸での胴上げ」「日本一」

この2つの”忘れ物”をとりに、翌96年のシーズンに臨むことになった。

関連記事一覧