「1回の練習が自分のキャリアを決めていくような時期でした」アイスホッケー・三浦優希 数々の壁を乗り越え培った思考とターニングポイント
初めてとも言える挫折から這い上がった要因とは?
アイスホッケーでもNCAAで一番高いレベルのDivision1でさらに己の技術を磨いた。NHLを目指す大学トップレベルの選手が集まってくる場所だけに、
Waterloo Black Hawksに入った時以上に壁の厚さを感じていた。
「本当にプロがプレーしてるようなチームだと思いましたね。大学時代は怪我で試合に全く出られない時期もありましたし、体は万全でも試合のメンバーに入れない時期もあったので、本当に苦しい期間が長く感じました」
自ら振り返る中で、”ここが挫折経験だった”と語るこの時期。悔しさと不安に苛まれ、満足に眠れない日も続いたという。それでも「たくさんのことを学べた時期でもありました」と、持ち前の前向きさを決して失うことはなかった。
「自分のイメージとは全く違う姿と、厳しい現実というのを見せられたとき、それこそゴールを全然決められない時期が続いたりもしました。それでも最終的にそこでも踏ん張れたのは、一度自分を離して客観的に見られたのが一番大きかったです。そこで気持ちの切り替えができて、目の前の練習に打ち込むことができたんです」
NHLを目指す選手同士がしのぎを削り合う勝負の毎日。上述の通り焦りもあった。練習の時から必死にアピールを続け、「初めて毎日の練習で緊張するっていうような感覚を味わった」と語るほどだった。
ただ、この苦労が今の三浦につながるターニングポイントになっていた。
「今までどれだけ自分が1回の練習に対して緩い気持ちで取り組んでいたのかを知らされましたね。どういう姿勢で練習に臨むかから始まって、1回の練習が自分のキャリアを決めていくような時期でした。そこに気づけたのがすごくありがたかったなと思っています」
挫折から這い上がり、ついにプロへの扉が開かれていった。
(つづく)
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