「いずれ自分は海外に出るものだと考えていた」アイスホッケー・三浦優希 17歳からチャレンジを続ける”決断の哲学”

アイスホッケー世界最高峰のNHLへの挑戦を目指し、現在は「Minnesota Wild」傘下の「Iowa Heartlanders」でプレーする三浦優希選手。

アイスホッケー日本代表として五輪予選や世界選手権にも出場するなど、世界を舞台に活躍する三浦選手は、日本人2人目となるNHL昇格を目指している。

三浦選手のここまでの人生はまさに挑戦の連続だった。17歳で早稲田実業高校を自主退学し単身チェコへ渡り、その後現在までアメリカに拠点を移している。

今回はその挑戦の人生を振り返りながら、培った考え方などにも迫った。そのストーリーを全5回に亘りお送りする。

(取材協力:LeadOff Sports、取材 / 文:白石怜平 ※以降、一部敬称略)

留学先のチェコ残留を”即決”。早実を自主退学し本格的な海外挑戦へ

三浦がアイスホッケーを始めたのは物心が着く前だったという。父は98年長野五輪代表の孝之さん。その影響もあってか、​​3歳の頃にはスケート靴を履いてリンクの上に立っていた。

その後ホッケーを本格的に始め、早稲田実業高校へ進学すると2年生の時に大きな決断をする。高校を自主退学し、単身チェコへ渡ったのだ。小学4年生の時に一度チェコを訪れ、そこで見たアイスホッケーの美しさに憧れを抱いた。

いずれ行きたいと考えていた中、早実にあった留学制度の一つで、審査に合格すれば高校の費用負担で行きたい国に数週間留学できる制度があることを知った。そこで迷わずチェコを選んだ。

運命に導かれるように渡ったチェコ。三浦は現地の有望選手たちで構成された”プロの予備軍”が多く所属する「クラドノ」のU-20でプレーすることになった。

クラドノは首都プラハの隣町に拠点がある。チェコを代表する強豪チームで、過去に国の代表選手やNHL選手を多く輩出している。三浦は異国の地でもその実力を発揮し、熱心な残留オファーを受けた。

17歳で人生の大きな決断をした(本人提供)

オファーを受けた三浦は、ここで高校を自主退学して残るという17歳ではなかなか考えにくい覚悟と挑戦を決断した。ただ、自身は「もう即決でした」と当時のことを改めて語った。

「今でもすごく覚えているのですが、監督から『チームに残らないか?』と言っていただいた時すぐに『僕は残ります』と返事をしました。

もしここで海外に出られるチャンスを逃したら、この先自分はもう海外に進出できなくなるのではないかというような、焦りと言いますか最後の選択のチャンスだと考えていました。

早実に入学して自主退学というのは、不安でしたし重い決断ではあったのですが、それ以上に挑戦する価値があると思いましたし、その結果今に至っていると感じています」

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