• HOME
  • 記事一覧
  • 身体障がい者野球
  • 身体障害者野球日本代表・小寺伸吾 世界大会で5年越しの”リベンジ”。大会首位打者で獲得した「長嶋茂雄賞」と伝えたい恩師への想い

身体障害者野球日本代表・小寺伸吾 世界大会で5年越しの”リベンジ”。大会首位打者で獲得した「長嶋茂雄賞」と伝えたい恩師への想い

今大会では1番に4番に大活躍

そして迎えた9月の本戦。バンテリンドームナゴヤという豪華な会場で周囲が固さを少なからず見せる中、小寺は平常心で臨むことができたという。

「やはり前回の大会を経験できたことが大きかったと思います。球場もほっともっとフィールド神戸で全国大会を何度も戦っていたので、大きな球場であっても圧倒されることはなかったです」

小寺には豊富な経験があった

打順は主にリードオフマン、3試合目の台湾戦では4番も務めた。その期待通り、鋭いスイングで振ればヒットの打棒を見せる。先頭打者として出塁し、走者がいればタイムリーと打席でもチームを活気づけた。

「1番と言われてスイッチ入りましたよ。『きた!』ってね(笑)。監督に指名されて嬉しかったし、勢いづけられた部分は前回大会と違ったところです。4番に関してはもう驚き以外ないですよ。これだけすごいバッターが揃ってる中ですから。

ただ、実は1番の方がプレッシャーがあるんです。最初の打席で塁に出なきゃあかんってのがありますから。4番はチャンスで回って『ここで打てばヒーローや』って思いで立てるので違う楽しさがありますね」

今大会では打席で躍動した

初戦の韓国戦は8-1と大量リードし最終回を迎えた。ここで日本代表は初戦にして最大のピンチを迎えていた。この回から継投に入るも、後続の制球が定まらず2点差に迫られる。かつ無死満塁という長打が出れば逆転サヨナラと絶体絶命のピンチだった。

その後は絶対的エースで大会MVPを獲得する早嶋健太(岡山)が緊急登板し逃げ切るのだが、その時の裏話を明かしてくれた。

「実は、ベンチではもし後続に何かあったらピッチャーもあるぞと言われていたんです。途中追い付かれ始めてから『もしかしたら登板あるかも』って思ったのですが、3点差2点差になって『いや、やめてくれ』と思いました(笑)。

この時サードでしたが、いつもやったら『俺んとこ飛んでこい!アウトにしたる!』って思っているんですけど、正直あれはもう無理でしたね。あの瞬間は多分全員が同じこと考えていたんじゃないでしょうか(苦笑)』

2戦目のプエルトリコ戦では特に大きな活躍を見せた。この試合も1番を務めたが、6回に満塁のチャンスから2点二塁打を放ち、チャンスでもきっちり役目を果たした。相手は左の外国人投手。次のアメリカ戦含め攻略は容易ではなかったという。

写真上:プエルトリコ先発のラズー、同下:2点タイムリーを放ち塁上で喜ぶ小寺

「日本の投手の球と違いましたね。手元で動いたり沈んだりするので、日本人の綺麗な軌道の真っ直ぐとはやはり違いました。早く打ちに行くとゴロになってしまうので手元で引きつけるという、日頃の練習のおかげで対応できたと思います」

恩師の教え”攻めの守備”でピンチを救う

守備では4試合通じて主にセンターを守った。体格の大きい外国人選手がフルスイングするため、強い打球が容赦なく飛んでくる。それでも恩師の言葉を胸に守り切ることができたという。

「大きい選手が来ても岩崎さんは守備位置を下げるなとよく仰っていました。攻めの野球だと。なので思い切って攻めの守備ができました」

球際でも思い切りの良さでピンチを何度も救った

台湾戦にも快勝し、最後のアメリカ戦。初回1番で早速ヒットで出塁し、先制点に繋げる働きを見せた。。4−0で迎えた最終回、早嶋が最後の打者を三振に斬って取り、全勝で世界一連覇を決めるとナインがマウンドに集まり歓喜の輪ができた。

「プレッシャーから解放されてもうほっとしたのが一番大きかったですね。みんな人差し指上に掲げてましたけども、僕はあまりに疲れてセンターからゆっくり合流しましたから(笑)」

実は、満身創痍でもあったという。プレッシャーもさることながら、体にも異変を感じながらプレーしていた。

「1年前に肉離れしてしまって、神戸でも一緒のマネージャーの村岡(潮美)さんがマッサージをよくしてくれてたんです。足大丈夫かなって思っていましたがもってくれてよかったですし、感謝ですね」

マネージャー陣にも感謝を述べていた(左から林哲也さん、村岡さん、森下真理子さん)

次ページ:初の長嶋茂雄賞を受賞「岩崎さんに伝えたい」

関連記事一覧