市川青空(そら)「突然目の前が真っ暗になった身でも這い上がれるところを見せたい」世界を渡り芽生えた高き目標とルーツとの再会

パラテコンドーで世界大会を戦い続けながら、身体障害者野球でも全国大会に出場している市川青空選手。

仕事中の大事故に見舞われ、スポーツはおろか歩くこともできないと宣告を受けた。しかし、不屈の精神で一歩一歩階段を上がり念願の競技復帰を果たすことができた。

国際大会で世界で戦いを続けながら、さらには少年時代から大好きな野球への復帰も叶った。後編では本格的な大会参戦から野球へ復帰するストーリーを追った。

>前編はこちら

(取材 / 文:白石怜平、 協力:太平電業株式会社 以降敬称略)

国際大会に出場し、海外を渡り歩く

22年の春にパラテコンドーに出会った市川はすぐに挑戦を決め、トレーニングで体をもう一度つくり直した。

パラリンピック出場を明確な目標に据え、秋には東京大会で日本代表監督だった洪君錫(ほんくんそく)氏が拠点を置く神奈川へと移り住んだ。

最初は非公式の大会ながら、パラテコンドーの本場である韓国・済州島での試合で早速海外の選手を相手に戦った。当時の心境を語った。

「瞬発力やスピードに自信がついてきたのですが、海外の選手は体格が違って圧倒されるばかりでした。厳しい世界に入ったなと思いましたね」

帰国後「第16回全日本テコンドー選手権大会」に出場し、58キロ級で3位の成績をマークした。そして昨年から国際大会への出場が増えていった。

「去年は日本にいる時間が少なかったです(笑)。世界選手権に参加しまして、エジプトやオーストラリア、レバノンそしてメキシコと4大会も出させてもらいました」

昨年から数々の国際大会に参戦している(提供:伊藤力)

そんな中で世界の壁の厚さを感じたという市川は、さらにステップアップするためにある挑戦を決めた。

「去年(23年)の10月、韓国の大学と一緒に寮に入門して2週間合宿を行いました。発祥が韓国でもありますし、洪君錫コーチの関係で繋いでくださいました」

この間、早朝から夜間まで6時間ほどの練習漬けの日々を送った。再びスポーツに挑戦するときは「階段1段登るのもきつかった」と語っていた姿はもうなく、心身共にアスリートの姿へと進化していた。

1年間世界を舞台に実戦の場を重ね、実力をどんどん伸ばして行った。それが顕著に現れたのが順位だった。

「去年までは世界ランク50位だったのですが、1月8日の正式発表で27位まで上がりました。今日本の一番のトップ選手がパリ大会で代表である田中光哉選手で世界5位なので、少しでも近づきたいです」

着実に順位を上げ、ステップアップしている(提供:伊藤力)

今年も4月から国際大会に参加し、ブラジルやベトナムに渡り戦いを続けてきた。現在は25位とさらに順位を上げ、高みを目指している。

「スポーツはできないです」と一度宣告を受けた中から這い上がり、今は世界各国を渡り堂々とした戦いを見せている。今競技に打ち込める日々について充実した表情で語った。

「今スポーツができることというのは、とても幸せなことだと感じています。昨年の日本選手権では、生で初めて自分が戦う姿を家族に見てもらいました。喜んでもらえて僕も嬉しかったです。

ただ今は結果が伴っていないので、将来はメダルを獲ってみなさんに恩返ししていきたいです」

「ストロングポイントはスピードです」

パラテコンドーはフルコンタクトの競技で、瞬発性と体力が特に求められる競技である。1ラウンド5分という短時間の勝負で、装着しているプロテクターから出る激しい音が迫力を生み出す。

市川が世界で戦うために磨いている武器は何か。自身の課題とともに明かしてくれた。

「僕のストロングポイントはスピードです。それを活かすためにどの角度で足を出したら(キックが)入りやすいか、相手の特徴を見て攻め方を変えるようにしています。

技術もですが5分で1本の勝負なので、最初の1分以内に相手を分析できるかを今自分の課題としてあげています」

瞬時に攻め方を判断しているという(本人提供)

今人生を懸けて打ち込んでいるパラテコンドー。競技の魅力をここで語ってもらった。

「パラスポーツで唯一と言ってもいい義足・義手に頼らない体と体で戦うスポーツです。階級は体重だけで分かれていて、麻痺の選手もいたり両腕の欠損の選手もいたりなど特徴はさまざまです。

腕がある人とない人が真剣勝負できますし、希少な格闘技なので見る人もハラハラドキドキすると思います」

”もうできない”と思っていた野球との再会

そして、市川を語る上で外せない競技がもうひとつある。それが自身にとってはスポーツとの原点とも言える野球である。

小学生の頃から生活の中心にあり、軟式野球の実業団チームとして入社していたことから、いわば”野球で飯を食っていた”身だった。

市川は慣れ親しんだグラウンドに帰還し、全国大会の舞台で輝きを放っている。再び野球との縁が繋がったのはパラテコンドーへの挑戦のタイミングとほぼ時を同じくしてだった。

「パラ陸上短距離の大会に出た時期があって、そこで佐藤猛さんという義足の選手と出会いました。そこで身体障害者野球があるという話をいただいて、練習に体験に行ったのですがとにかく驚きでした」

再び野球ができることに感激だった

その驚きとは、事故の時に”もうできない”と思っていた野球が近くにあったことだった。また、身体障害者野球ならではの技術に魅了されていった。

「ワンハンドキャッチ・ワンハンドスローというグラブから離してその間に持ち替えるというのを間近で見て鳥肌がすごく立ちました。キャプテンの渡辺一也さんが軽快に投げている姿を見て、僕もできるようになりたいと思いました」

今では外野手としてもスムーズにスローイングを行う

即決だったという市川は「チームのいいところは野球のスキル関係なくみんなが楽しくできているところです」と語り、ユニフォームを着てグラウンドに立てることが何よりの喜びだった。

テコンドーとして真剣勝負に向けた体づくりに励みながら、野球では元々投手兼外野手だったため、マウンドに戻るべく体の動きを戻すとともに新たな技の取得に勤しんだ。

「双子の弟がノックを打ってくれたりキャッチャー役も務めてくれました。打つ方では元々左投げながら右打ちだったのですが、打球がゴロしか飛ばなかったので打つのも左にしました。あと持ち替えて投げるのも数を重ねて半年ほどかけてマスターしましたね」

打撃では左打者へ転向した

”世界一メンバー”が揃う打線相手に好投

その猛練習はすぐに結果へと表れた。昨年からテコンドーの合間で出場を始めた大会で躍動した。

「去年の神戸(全国大会)でライトオーバーのランニングホームランを打ったんです。あと次の地区での試合で名古屋ビクトリーさんを3回1失点に抑えられたんです。その後の試合では打たれてしまったんですけどね(苦笑)」

市川が抑えた名古屋は全国屈指の強豪チーム。昨年日本が世界一に輝いた「第5回世界身体障害者野球大会」の日本代表にチーム別最多タイの5人を輩出している。

長距離打者から俊足巧打の選手までバランスよく揃う強力打線相手に堂々たる投球。ここでも世界で戦える片鱗を見せた。

今年の全国大会でもマウンドで躍動した

ただ、打たれた時の方が記憶に残っているそうで、「名古屋を抑えるために野球もしっかり練習したい」とリベンジを誓う。

今年もテコンドーでの国際大会の合間を縫いながら、神戸での全国大会をはじめ地区大会などに駆けつけている。

6月には神戸で行われた「全国身体障害者野球大会」に参加し、2番を打つとともに投手・外野手とフィールド全体を駆け回った。

「同じ境遇の方たちから憧れられるアスリートに」

現在は拠点を岐阜から神奈川に移している市川。

「野球が好きな友人たちとピッチング練習もしています。わざわざキャッチャーミットを揃えてくれて球を受けてくれるので、ありがたいですよね。楽しみながら野球も真剣にやっていきたいです」

と今の”二刀流”での生活が何より充実していると笑顔を見せた。

もちろん野球も真剣にやりたいと語った

ただ、目指すところは世界の舞台。

直近の目標は「一つでも多くの国際大会で表彰台に上がりたいです。26年には名古屋でアジア競技大会があるのでそこで代表に入って、28年のロサンゼルス大会に出場することです」と力強く述べた。

最後に、アスリートとして目指す姿を語ってもらった。

「自分と同じ境遇の方たちから憧れられるアスリートになりたいです。世界中のいろんな障がいのある選手と対戦する姿を見てもらい、頑張ってるんだと思ってもらえる影響力のあるアスリートになります。突然、目の前が真っ暗になった身でも這い上がれるところを見せたいです」

まさに絶望から立ち上がり、2つの競技で大舞台での活躍を見せる市川。自らが照らす希望の光はさらに輝こうとしている。

(おわり)

【関連記事】
「第32回全国身体障害者野球大会」 香川チャレンジャーズが創部4年目で”史上最速優勝”互いを信じ全員野球で掴み取った初の栄冠

千葉ドリームスター「第32回全国身体障害者野球大会」に出場 マウンドと打席に込めた悔しさとチームへの恩返し

「第25回全日本身体障害者野球選手権大会」選抜チームが発揮した団結力と絆の2日間「最高のメンバーで試合をやれた」

関連記事一覧