千葉ドリームスター 山岸英樹 自身の経験から語る情報と人の繋がり「障害を持って生活していくためにも必要」
身体障害者野球「千葉ドリームスター」の山岸英樹投手は2日、「WarmBlue 2021 アスリート座談会」にゲスト登壇した。
WarmBlue 2021は、特定非営利活動法人日本ダイバーシティ・スポーツ協会と埼玉県吉川市が共催しており、世界自閉症啓発デーや発達障がい啓発週間に向けたイベントとして行われている。今回の座談会はその一環で開催された。
また、吉川市が東京パラリンピックでマカオのホストタウンを務める縁から、中原恵人(しげと)市長も登壇。市や協会にゆかりのある7名のアスリートとオンラインで交流した。
トークでは、障害者スポーツにおける情報や人のネットワークについての話題に。そこで質問が及ぶと、始めに自身がどんな障害を負っているのか経緯を話した。
山岸選手は小学6年生の時にてんかんの手術の過程で脳梗塞を発症し、左半身麻痺という障害を負った。その後リハビリとトレーニングを積み重ね、医師も驚くほど早いペースで回復した。
完全に戻ったわけではないが、当時は励ましの意味も込めて「ここまで動けていれば障害者の枠には入らないですよ」と言われていたという。そのため障害者手帳は取得していなかった。
しかし、28歳の時に友人から「(障害者)手帳は取れないの?」と聞かれ、かかりつけの病院で確認するとすぐに取得できることが分かった。
元々野球が好きで少年野球でも中軸を打っていた山岸選手。手帳取得後の2017年、かねてから知っていた身体障害者野球をやるために市川(現:千葉)ドリームスターへ入団した。
2019年にはパラリンピック出場を目指すため「東京都パラリンピック選手発掘プログラム」でパラローイングに挑戦。日本代表候補選手となった。
情報や人のネットワークがあれば障害者手帳を早く取得できたかを問われると「(障害を負った)12歳の時点で取得できていたら、もしかしたらパラスポーツに早く挑戦できたかもしれないです。競技問わず、障害を持った上で生活していくためにも繋がりは必要です」と自身の体験を交えて答えた。
現在、パラリンピックへの出場競技を陸上(投てき)に転向することを視野に入れてトレーニングを続けている。会の最後には、「みなさんと同じ場に立てるように努力していきたいです」と24年のパリ大会を見据え、意気込みを語った。
(SPORTSCORE編集部)