「自分がチームを引っ張る意識を持てた」アルバルク東京 笹倉怜寿 緊張と戦ったルーキーイヤーと期限付き移籍を経て得た収穫

2年目、仙台89ERSへ期限付き移籍

2年目のシーズンに向けて準備をしていた20年6月、1年間の期限付きで仙台89ERSへ移籍することが発表された。

この移籍は、当時のA東京でヘッドコーチ(HC)だったルカ・パヴィチェヴィッチからの提案だった。

「ルカHCに『より多くのプレータイムをもらえるから経験を積んできてほしい』と。それで仙台さんへの移籍を提案していただきました。桶さん(桶谷大:仙台前HC)はいいバスケットを展開するからということで、プッシュいただきました」

明確な意図や目的を持ってを仙台へ移籍することを決断した

自身のことを考えて指揮官から提案されたチャンス。意図はもう1つあった。

「後は(仙台が)当時B2にいて、B1昇格という明確な目標がありました。ルカHCからも『目標を持ってできる環境でプレーをしてほしい』と言っていただいたのもあり、仙台さんでお世話になろうと決めました」

移籍後は開幕から主力として出場を重ねる。シーズンは47試合、プレーオフにも7試合に出場するなど年間を通じて活躍。ポジションも本職のPG以外にもシューティングガード(SG)やスモールフォワード(SF)まで広く務め、チームの得点源として525得点(1試合平均11.2)・183アシスト(同3.9)をマークした。

「最初は正直、遠慮してた部分もありました。それでも片岡(大晴)さんや金城(茂之:現仙台アシスタントコーチ兼スキルコーチ)さん、同じタイミングで寒竹(隼人)さんも入団したのですが、そういった先輩方に『もっと自分を出していいし、自信を持ってやろう』と背中を押してもらうことで、自信が持てるようになりました。

それは責任感を持ってプレーする必要性も伴ってくるので、若手ではありますが、”自分がチームを引っ張っていく”意識を持ってプレーできました」

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