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「苦労して創り上げてきたものが幹になり広がった」中日・和田一浩 新打撃コーチ 今も続く打撃への探究心と自身のフォームの変遷(前編)

フォーム改造のきっかけは西武時代、土井正博コーチとの出会い

西武時代、和田はバッターボックスの幅を最大限に使った独特のオープンスタンスで構えるのが特徴だった。

これは当時、1軍打撃コーチを務めていた”名伯楽”土井正博からの助言によって生まれたものだという。

「僕は身体が開く癖があったので、『身体が開くんだったら最初から開いておいて打てば、もうこれ以上開かないから』というアドバイスをいただいてオープンスタンスにしたんです」

ただ、それまではスクエアスタンスで構えて打っていた。いきなり足を開くことによる抵抗はなかったのか。和田に続けて質問するとこう即答した。

「いや、全然大丈夫でした。いきなりオープンスタンスにしたほうが僕は合ってましたね」

オープンスタンスにすることで打撃がさらに開花した

前述の通り30代になりレギュラーとなったが、実際はその前から大器の片鱗を見せていた。土井が西武で最初にコーチを務めていたのは、和田のプロ3年目である99年まで。

その2年目の98年には51打席ながら打率.333、翌99年には若干下げたが53打席で打率.271と少ない打席数でも結果を残し、土井によるアドバイスは着実に浸透していた。

2人目の恩師、金森栄治コーチの指導でさらに開花

99年限りで土井が退団するも、和田はさらに成績を上げていく。00年は4番も務めるなど、170打席で打率.306をマークした。

01年には、西武時代のもう1人の恩師と出会う。この年に就任した金森栄治・1軍打撃コーチ補佐である。金森は97年にヤクルトの1軍打撃コーチ補佐を務めた時から指導者としてのキャリアをスタートさせた。

以降は西武、ダイエー・ソフトバンク、阪神、ロッテなどの打撃コーチを歴任し、今シーズンは楽天に在籍していた。教え子には和田の他にも城島健司や井口資仁、西岡剛、荻野貴司らといったタイトルホルダーが数多くおり、こちらも名コーチである。

収録の合間も打撃論に花が咲いた

金森コーチの指導の特徴は、『ボールを手元まで引き付けて、脇を締めて腰回転を使ってコンパクトに振る』『腕を伸ばして打たない、縮める』といったもので、”金森理論”と称されている。

和田も、金森に教わったことを根気強く継続することで自分のモノにしていった。

「金森さんに色々と教えていただいて、最初のきっかけを掴ませてもらいましたね。そこから成績を残して、経験を積んだことによって広がっていったと思っています」

金森コーチのアドバイスも大きかったと語る

その言葉通り、01年はさらに出場試合数を増やし206打席で打率.306、本塁打も16本ときっかけを掴むと、翌年のブレイクへと繋がっていった。

「当時は”技術をもっともっと高めたい”という思いが強かったです。レギュラーを獲るまでに苦労して創り上げてきたものが幹になって、少しずつ進化していった感じです。感覚的には」

その後も活躍を続け、07年オフにFAで中日へ移籍。地元岐阜県と同じ東海地区に本拠地を置き、少年時代からファンだったという憧れのドラゴンズブルーのユニフォームに袖を通した。

そこでも、長期に亘る打撃改造を行なっていた。

つづく

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