• HOME
  • 記事一覧
  • 野球
  • 南海ホークスメモリアルギャラリー ファンやOBらと共につくりあげる”鷹のふるさと”「大阪球場と南海ホークスを後世に語り継ぎたい」

南海ホークスメモリアルギャラリー ファンやOBらと共につくりあげる”鷹のふるさと”「大阪球場と南海ホークスを後世に語り継ぎたい」

数年にわたる議論を重ねてオープンへ

福岡への移転後、大阪球場は住宅展示場などで活用された後に98年に閉鎖・解体となった。なんばパークス開業までの5年間、球団の記憶を形に残すべく電鉄内で長く議論を重ねたと言う。

「球団を手放してしまったというのもあるので、ギャラリーを出すにもどういう形にすればファンの皆さんに受け入れていただけるのか。その点は慎重になりました」

ただ、南海ホークスそして野球を愛するファンからは「その記憶を残してほしい」という声が電鉄本社に寄せられ続けた。その声が大きな後押しになった。

「南海といえばホークス。一つの大きなブランドでもありますし、やっぱり球団を持ってたというのはやはり誇らしいことだと。黄金時代もありましたし、何より沿線には南海ホークスファンの方がまだまだたくさんいらっしゃるので、その想いを共有したかったのが一番大きかったです」

年表や選手紹介のパネルなどもある

南海の象徴とも言えるOBから直接寄贈

展示にあたり、最初に当たった壁は電鉄本社にほとんどホークスの関連品が残っていなかったことだった。

球団が譲渡されて既に10年以上経過していたこともあり、本社内にあったのは一部の賞状やフラッグ、トロフィーのみだった。往年のファンに喜んでいただきたい想いを実現すべく、電鉄は奔走した。

「ギャラリーをつくる構想が挙がった時は鶴岡さん、杉浦さんがご健在でしたので、直接お話をさせていただきました。他のOBの方々にもご本人、ご家族の協力を頂戴しまして、ユニフォームやバットなどを寄贈・お借りさせていただいております」

鶴岡監督のスタジアムジャンパーも長年展示されている

ギャラリーには鶴岡監督のスタジアムジャンパーや南海最後の88年に指揮を執った杉浦監督のユニフォーム、そして門田博光選手の2000本安打時のバットなど、ファンにとって感動する品々が並んでいった。

展示品が充実していく中で、いい循環がつくられていった。その反応について廣田さんはこう語った。

「OBのお孫さんなどから、続々と展示品の寄贈をいただきました。それはまだストックしている状態ですので、どこかのタイミングで皆さん方にお見せできるように準備は整えていってます」

杉浦忠さんの監督時代のユニフォームや、門田博光さんの2000本安打のバットなど

ファンと共に創り上げるギャラリーに

関連記事一覧