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南海ホークスメモリアルギャラリー ファンやOBらと共につくりあげる”鷹のふるさと”「大阪球場と南海ホークスを後世に語り継ぎたい」

ファンと共に創り上げるギャラリーに

OBや本社の協力でギャラリーが創り上げられていっているが、他にも欠かせない”戦力”がいた。廣田さんがあるエピソードを明かしてくれた。

「今展示しているもので、優勝時の銀杯があるのですが、実はファンの方に寄贈いただいたものなんです。優勝の記念品として球団からご親族に贈られたそうで、ご自身で終活とかをされる中で、そのまま処分してしまうのは勿体ないと。

ぜひ多くのファンの方にも見ていだきたいし、ホークスの歴史を伝えていきたいと思うので、ぜひ飾ってもらえませんかということでお声がけをいただきました」

銀杯はファンの方から贈呈されたものだった

また、選手の他にも球団関係者とゆかりのある方からもお話があったという。

「先日は初代大阪球場社長のお孫さんが当時の記念品を持っていらしてくれました。何度もギャラリーには来ていただいて、『(1958年の)球団創立20周年記念盾や、61年のパリーグ優勝記念木製トレイが出てきたので飾ってもらえませんか?』と寄贈してくれました」

大阪球場でプレーした選手、球場でともに喜びを分かち合ったファン、そして球団に愛情を持って運営してきた方々の想いが込められた一つの空間が醸成されてきた。

廣田さんは、ギャラリーが発展していく過程について感じたことを述べた。

「OBやご家族、関係者の方の協力あってこそ成り立っているギャラリーであることを強く感じますし、何よりファンの皆様とも一緒に作り上げている想いがあります。

球団が譲渡になってから長い年月が経ちますけれども、今でも南海ホークスが愛されてると思えることが、この事業を通じての何よりの喜びです」

61年のパリーグ優勝記念木製トレイ(写真右)

南海ホークスが今も歴史を繋ぐ存在に

このメモリアルギャラリーは南海ホークス、そして南海電鉄の歴史をつなぐ存在になっている。

「廣田は大阪球場や南海ホークスを知らない世代ではありますが、このギャラリーを通じてホークスを知り、ファンの方々と直接交流を深めることで球団の歴史に触れてもらいました。我々も”南海にはホークスという球団があった”ことを再認識させてもらっています」(矢野さん)

その交流の場となっているのが南海なんば駅から徒歩10分、道頓堀にあるバー「難波のあぶさん」。ここは今も南海ファンが集まり語り合う場となっており、OBそしてソフトバンクの現役選手も遠征時に訪れるホークスの聖地である。

選手らから寄贈されたユニフォームが所狭しと飾られており、店名の”あぶさん”も同名の原作者である水島新司さん公認となっている。

電鉄の社員もお店に数多く足を運び、ファンや選手たちなどとお酒を交わしながら野球談義に花を咲かせ、歴史への理解を深めている。

南海ホークスがあったことを誇りに

昭和最後の88年に球団としての役目を終えた南海ホークス。しかし、その歴史は脈々と受け継がれ、令和となった今でも南海電鉄にとって重要な役割を担っている。

常に進化を続けるメモリアルギャラリーについての今後を矢野さんに訊いた。

「弊社にとっても、やはり球団があったことを誇りに思っていますし、これからも次の世代に根付いていってほしいです。そのためにはこのギャラリーをずっと継続することだと思います。

現在のギャラリー外観。ガラス越しに歴史を感じられる

また、この難波という大阪の中心に球場があり、敷地の中にはスケート場やボーリング場などがあるなど、まさにエンターテインメントの中心がまさにここやったんだと。

そのアイデンティティがしっかりと繋がっていけば、難波は栄え続けることができますし、そういう地であり続けたいです」

今も難波の地で輝く歴史を発信している南海ホークスメモリアルギャラリー。実は3年近く前に、最後かつ最大のピースをはめたとも言える一大プロジェクトがあった。

(つづく)

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