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「埼玉県北の野球や地域を活性化したい」元甲子園球児・小暮涼 スクールから広がる野球との縁とBaseball5へのチャレンジ

春日部共栄高校では甲子園に出場し、現在は野球スクール「Link BASEBALL ACADEMY」を運営している小暮涼さん。

スクール開講を目指し、3年勤めた大学を辞めて昨年アメリカに武者修行へと行った。そして帰国後、今も小暮さんの原動力となっている2つの挑戦が始まった。

前編はこちら

(取材 / 文:白石怜平、以降敬称略)

選手として単身アメリカに

指導者の勉強を視野に入れ単身アメリカへ渡った小暮。実は自身の想定と異なる形での”留学”だった。

「アメリカの独立リーグを経験してる方々から話を聞くと、『プレイヤーとして肌で感じながらアメリカの野球を知った方が勉強になる』と。

僕はケガで野球を引退したわけではないですし、まだ体が動くのでそれなら挑戦しようと決めました」

選手としてアメリカで挑戦した(本人提供)

小暮が参加したのは、カリフォルニアで開催されたウインターリーグ。将来MLBでのプレーを目指す約200人が参加し、世界中から夢を追いかけて来た選手たちとともに1ヶ月間共にした。

ユニフォームを着てプレーする中で、肌で感じたアメリカ野球。驚きの連続だった。

「パワーが全然違いましたね。あとはトレーニングに対しての意識がすごく高かったです。練習時間は日本の方が長いですが、向こうの選手は一人でずっとやっています。

球場にバッティングケージが併設されていて、試合がない日も自由に使えるので、空いてる時は何時間も打ち込んでいました。自分の練習をやってる時間が長いです」

日々の過ごし方からカルチャーショックがあったが、さらに試合でも感じたことがあった。

「”一つ突出してすごい”という選手が多かったです。足は遅いけども遠くに飛ばすのは長けていたり、真っ直ぐは速いけど変化球はあまり投げられないとか。

日本ですと平均的にレベルを上げていく印象ですが、向こうは『そんな投げ方でそんな速い球投げるの?』という選手もいましたから」

アメリカでは日本との違いも肌で感じた(本人提供)

この間結成された即席のチームでは米独立リーグの監督やコーチが指揮を執り、目に留まった選手はその場で契約が決まるシステムだった。

小暮もブランクを感じさせないプレーで、興味を持ったチームもあったが契約までには至らず。

「元々はスクール開講に向けて指導者の勉強のために行きましたし、1ヶ月やり切ったので帰国しました」と、その後は開講に向けて本格的に着手した。

念願のスクールで実現したい”つながり”

スクールの開講にあたり、小暮は一つ明確な考えを持っていた。

「地元(埼玉県深谷市)でやりたいと思っていました」

最初の野球との出会いがスクールだったこともさることながら、もうひとつ大きな視点があった。

「(埼玉)県北の野球の力が落ちてきていると感じています。地元で育った選手が甲子園やその先のレベルでプレーしたり、地元の学校が強くなることで野球や地域全体の活性化につなげていきたいと考えていました」

場所は知人が使わなくなったという倉庫をリフォームして活用することになった。スクール名は”つながり”を意味する「Link BASEBALL ACADEMY」とした。

「自分一人でここまで来れたわけではなく、いろんな人とつながりがあったからこそと思っています。恩返しと、ここからたくさんの縁が広がる場所とと思ってスタートしました」

帰国後、念願の開講となったスクール(本人提供)

昨年11月についに開講した念願のスクール。今は深谷市や近隣の熊谷市の小中学生が野球を上達するべく門を叩いている。

運営方針で大切にしていることを明かしてくれた。

「一番は少人数制というのを大切にしています。僕が一人でやっているのもありますが、1コマ70分という限られた時間の中で、来てくれた生徒により身になってほしいので最大3人程度にした方が質も量も担保できると考えました」

自身が考える指導方針とやりがいとは?

この”質も量も取る”。小暮が指導する上で大切にしている考えの一つだった。

「短い時間で数をこなしてとにかくいろいろな経験をする。失敗もそうですし、成功体験もそう。それが次につながって質を高められると思うので」

子どもたちとは意図を持って接している。自身の考えを続けて述べた。

「今のご時世的にも”優しく・楽しく”という考えもありますが、僕は時にしっかり注意するようにしています。一人の人間として成長するため、子どもたちの将来のために必要なことだと思いますので」

将来を見据えて言葉でしっかり伝える(本人提供)

具体的に教えている内容は、打撃と守備に加えて体幹や柔軟性を高めるトレーニングの3種類。野球に役立つ体の使い方とともに、技術向上に向けて自らの経験を惜しみなく伝えている。

教えている中で、実感していることを明かした。

「体を大きく使って強く振ることを教えているので、続けてくれている子たちはスイングスピードも速くなって飛距離も伸びています。成長は速いというのを感じています」

ただ、自身の教えを絶対だとして押し付けたりは決してしていない。むしろ、逆の考え方を持っていた。

「子どもたちには何色にも染まってほしくないという想いがあります。自分が教えている立場で何ですが、”疑い”を持ってほしいなと。

上達の一つのプロセスとして自分がいる。そういう感覚で聞いてもらえたらと思っています。自分の教えをやってみて、いいと思ったら続ける。

そうでなければ別の方法を試してみればいいですから。子どもたちに選択肢を与えることを大切にしています」

子どもたちに選択肢を与える指導を心がけている(本人提供)

そして、今の仕事のやりがいについてこのように語った

「子どもたちが結果を出してくれることが一番嬉しいです。ある生徒はチームで主に6年生・5年生含めて20人以上いた中でただ一人4年生で選ばれたと言ってもらった時は鳥肌が立つほど嬉しかったです」

昨年もうひとつの新たな挑戦「Baseball5」 

昨年は小暮にとって大きな動きが続いた年だった。スクールの開講に加えて、新たな競技に取り組んでいる。

それは野球型のアーバンスポーツ「Baseball5」への挑戦である。

世界約80カ国・地域で普及し、26年のダカール・ユース五輪で正式種目に採用されるなど注目を集めている競技。

小暮は昨年日本初のBaseball5チームである「5STARs」に入団すると早くも頭角を表し、今年の2月には日本代表選考会にも選出された。

Baseball5「5STARs」の主将を務めている

その実力と姿勢が評価され、今年の春には入団から約1年ながらチームの主将に任命された。

現在は毎週の練習に加え、東京と埼玉で毎月開催されているリーグ戦「B5.LEAGUE KANTO 2024」にチームとして参加し、再びプレイヤーとして己を高めている。

「選手としては日本代表になることはもちろんのこと、それをより多くの機会で経験したいですし、チームとしてもリーグそして日本選手権優勝を目標にしていますので『やってやるぞ』という想いです」

チームとして自身も日本を代表する位置へ上がろうとしている

「スクールとBaseball5も”リンク”したい」

新たにスタートして約1年半、それぞれが着々と前に進んでいる。今後の展望について明かしてくれた。

「埼玉県内で複数の拠点をつくりたい考えがあります。野球に関わる子を増やし、たくさんの縁をつないでいきたいです。

野球の内野サイズの室内練習場を持ちたいです。それがあればBaseball5のイベントもできるので、いずれはリンクさせたいです」

Baseball5など、競技や地域をリンクする場になる(本人提供)

そして、最後に共に未来をつくっている子どもたちに向けての願いを語り、インタビューを締めた。

「結果的にプロ野球選手になってくれたら嬉しいですね。ただ、どんな結果になっても野球を好きでい続けてくれるのが一番です。僕としては、地元の野球界・スポーツ界の活性化に貢献できたら嬉しいです」

今の仕事を「天職だと思っています」と語っていた小暮。自らも日の丸を目指すとともに、子どもたちの成長と日々向き合っている。

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