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市川スポーツガーデン国府台 「誰もが長く楽しめる場にしたい」定着に向け奮闘し続けてきた17年の歴史

「講師からも会員さんからも非難轟轟」折れずに向き合った時も

小幡さんは、05年準備委員会からアサインすることになった。当時大阪から千葉へ引越したタイミングだった。

学生時代にバスケットボール部だったのもあり、市が開催したバスケットボールクリニックに申し込んだことで縁ができたという。

大阪での高校バスケットボール部顧問を経て、YMCAで地域の大会や指導者研修などにかかわっていたことなどもあり、相談を受けるようになった。

ISG国府台が立ち上がった後は、3年の間でチアリーディングやフラッグフットボールを追加するなど内容を充実させていった。

その間小幡さんは一度大阪に戻った時期がありながらも、地域イベントの時などは市川に駆けつけボランティアながら運営を担っていた。

ただ、当時の運営メンバーにとっては経験のある小幡さんの力はどうしても必要だった。

「当時は全体的にスポーツ運営の知見が少なかったんです。なので、大阪から再び千葉へ戻ったタイミングで、運営に関わってほしいと依頼を受けました」

発足時からISGを引っ張ってきた小幡さん(写真左)

そこで小幡さんは市川市と交渉する役目も担い、市が補助する形となっていた運営の全権を取得した。当時任意団体ではあったが、運営費を捻出しないと存続・継続することはできない。

そのためプログラムの時間や内容、価格の見直しも行った。財政状況やプログラムのクオリティを加味して値上げをした際には猛反発も受けたという。

「質を上げるために1回のプログラムの時間を90分から50分にして回数を増やしました。補助金頼みの運営からの脱却をしなければならないですし、加えて人員も足りないのでパートさんを雇うためには人件費もかかります。ただ、講師からも会員さんからも非難轟轟でしたよ(苦笑)」

それでも小幡さんは批判に屈することなく、存続と継続のために試行錯誤しながら奔走した。クラブが決めた方針を貫き、周囲の理解者を徐々に増やしていった。

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