“義足の野球人”石井修 ハンデを乗り越えた挑戦の記録「障がいを持っていても野球はできる」
40歳、ドリームスターで再び挑戦へ
3児の父でもある石井は仕事・家庭・野球のバランスを取りながらとそれぞれ両立させ、充実した毎日を送っていたが、12年に当時在籍していたチームが解散。
野球から一度離れたが、1年経った頃にまた情熱が湧き上がってきた。
2014年、以前に交流のあったドリームスターへ連絡し、野球がやりたいと伝えた。
「これからどんどん伸びていくチームだと思ったし、『この人たちと野球やったら面白いな』と。いい人たちが集まっていて、みんな一生懸命だったのでこのメンバーと一緒にプレーしたいと思って混ぜてもらいました」
40歳、新天地で第2の野球人生が始まった。打順は主に5番を打ち、ポジションは三塁手。現在は一塁手も務めている。
ドリームスターも試合数を多くこなす目的で、障がい者野球チームに加え、健常者チームとも練習試合を行っている。右打者の痛烈な打球が襲う “ホットコーナー”もすぐに順応した。
「ソフトボールをやっていたので速い打球への反応はできていました。右の動きが少ないので、三塁の方が負担は少ないですね」
入団した年にドリームスターは日本身体障害者野球連盟へ加盟。2019年まで3年間は関東甲信越大会準優勝を成し遂げるなど、石井の加入は大きな戦力となった。
また、プレー以外でもムードメーカーとしてチームに活気をもたらしている。チーム練習時、ノック中のユーモアある“ヤジ”はチームを楽しい雰囲気にしてくれる。
「うるさいくらいがいいんですよ(笑)障がい者が障がい者をいじるというか。お互いが言い合える環境っていうのがいいと思います。みんな楽しそうにやってるので、この雰囲気を大事にしたいんですよね」
自身も守備が評価され、チームでゴールデングラブ賞を受賞するなどまだまだ技術を向上させている。