元プロ野球選手・喜田剛が振り返る10年間の現役生活。才能開花した広島時代と最後の年に受けた白井監督の教えとは?

オリックス時代、生じたバッティングでの迷い

その後10年5月に再びトレードでオリックスへ移籍。阪神時代、入団当時2軍監督、1軍でも指揮を執っていた岡田彰布監督の下で再びプレーすることになった。

トレード直後、すぐに1軍に合流。チームは交流戦の優勝が懸かっていた時期だった。

ただ、喜田はこの年開幕から思うような打撃ができていないと感じていた。違和感を感じたまま移籍し、「結果を出したい」・「チャンスをくれた監督のために」・「仲間のため」などとさまざまな感情が混ざり合い、焦りになっていく。

さらに追い討ちをかけるように、自身のスイングとチームの指導方針にすれ違いが生じ、『バッティングがわからなくなっていた』という状況に陥った。

喜田は野球を始めてから教わってきたのは”バットは最短距離で振る”。しかし、当時のチームでは今でいうフライボール革命の走りで”バットを振り上げていくイメージで”という指導だった。

この理論をしっかりと理解できないまま取り組んだ結果、イメージと身体の動きが合わなくなり打撃を崩していったという。

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