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【新連載】戦場への帰還 ~不屈の精神と長き闘いの記憶~ 元中日・吉見一起 トミージョン手術「怪我の知識を頭に入れて、興味を持つべき」

13年、吉見はトミー・ジョン手術を受ける

冒頭の通り吉見はプロ入り前の社会人・トヨタ自動車時代から数え、野球人生で5度の右ひじ手術を経験している。

社会人時代に1度クリーニング手術を受け、プロ入り後も2010年オフには2度の遊離軟骨除去手術 、そして2013年にこのトミー・ジョン手術を受けた。この時点で既に3度右ひじにメスを入れ、4回目で最も大きな手術となった。(※5回目は後述)

吉見は当時の心境をこう振り返った。

「自分の中で焦りはなかったです。1年間はダメだけれども2014、15年ごろから投げられるようにと考えて過ごしていました。あの頃から考え方が変わりましたね。たくさん選手を見るようになりました」

オンラインサイン会「〜Autograph Collection〜」時にも当時の苦労を語っていた

当時はまだ29歳になる手前。先を見据えてリハビリをこなしていたのが、後々振り返ると後悔があったという。

「もっといろいろな方の話を聞いておけばよかったなと。経験談やトレーニング方法などですね。結局リハビリメニューをこなしていただけで、“自分でこうしよう・ああしよう”というのではなかった。

もっとトミー・ジョン手術に対する知識を持って“どういうことをすればいいのか”興味を持てばよかったなと。もっとアプローチができたんじゃないかと後悔していますし、自分の中ではサボったと後から感じてしまいました」

自身の想定通り2014年に1軍復帰、7月8日の対ヤクルト戦で427日ぶりのマウンドに立った。ただ、復帰後3試合に登板後再び肘の炎症で戦線離脱しこのままシーズンを終えた。

翌15年は開幕ローテーションに入り、4月1日の巨人戦で708日ぶりに勝利を挙げるも、またしても肘に加えて右手首の周辺の痛みが吉見を襲った。

「(トミー・ジョン)手術後も全然ダメで、今度は手首にもきてしまったんです。何度画像を撮っても異常がない。注射を打ってもその場しのぎになっていました。投げて痛くての繰り返しですよね。また肘かと…」

TJ手術後も右肘の痛みに悩んだ

この痛みの原因が、トミー・ジョン手術を受けたことによる影響だったという。右肘の動きが制限されることで、右手首下に影響が及んでしまった。そのため、癒着していた神経の剥離手術を10月に受けた。

ここで5度目のメスを入れた吉見は、翌16年に5年ぶりの20試合登板以上(21試合)と4年ぶりの投球回100イニング超(131.1)を達成し6勝を挙げるなど、復活を予感させる投球を見せた。

しかし、実際はその裏で代償を払っていたことも事実だった。

「今もそうなのですが、右の薬指の感覚が鈍くなった影響もあってフォークが投げれなくなったんです」

吉見の持ち味は通算与四球率1.57というコントロールもさる事ながら、スライダー・シュートの横の変化に加え、フォークで縦の変化を起用に投げ分ける”投球術”がある。

全ての球種を巧みに投げ分ける吉見にとって、その縦の変化であるフォークが使えなくなったことは武器が減ることを意味していた。

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