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元ロッテ・黒木知宏 長き怪我との闘いと”戦力としての”復帰、そして今後の挑戦「今まで味わったことのない景色を見たい」

05年、マリンで1545日ぶりの勝利と10年ぶりのAクラスへ

以降も先発として投げ続け7試合に登板。6月2日のダイエー戦で念願の復帰初勝利を手にした。チームが日本一になった05年、8月28日のオリックス戦では本拠地千葉マリンで1545日ぶりの勝利投手となった。

この勝利は95年以来10年ぶりのAクラスを確定させると同時に、プレーオフ(現:クライマックスシリーズ)進出も決めたものであった。

「04年に復帰して勝利したのが北九州だったので、マリンで勝てていなかった。05年はマリンで勝ちたいと思って臨んだシーズンでした。時間はかかりましたが、プレーオフを決める試合に勝てたのは野球の神様がご褒美をくれた気がしましたね」

日本シリーズでは登板機会はなかったが、アジアシリーズでは11月12日の第3戦チャイナスターズ戦に先発。3回を1失点(自責点0)に抑え、アジアチャンピオンに貢献した。

13年間の現役生活「僕の中で魂を抜いて投げたボールはない」

06年は5試合・07年には1試合に終わるとオフに戦力外通告を受けた。12月までと期限を決めて他球団からのオファーを待つも、黒木の元に届くことはなく現役引退を表明した。

13年間の現役生活とともに、長い怪我との闘いにもピリオドを打った。

「(13年間に)悔いはないです。僕の中で魂を抜いて投げたボールはないという自負の中でやってきたので、やりきった・出し尽くしたと思っています。ただ、後から振り返ると『あの時に戻ったらどうだったかな』というのは今でこそ考えますが、『あれがなかったら今の僕はない』と考えれば、納得はできます」

自身の辛い経験がコーチ時代に活きた

13年からはファイターズの1軍投手コーチに就任。当時ルーキーの大谷翔平(現:ロサンゼルス・エンゼルス)の指導を行うなど、5年にわたり務めた。コーチ時代では、自身が苦しんだ経験が活かされていた。

「(選手たちの)痛みがわかりますね。どこか痛くても言わずに頑張っている選手の気持ちがよく分かります。ただ、痛めている箇所で我慢できる箇所と我慢できない箇所があって、我慢できない箇所は隠しちゃダメです。

(チームにとって)よかれと思ってやったことが逆に2年・3年と大きな痛手になるので。僕は身をもってその話ができました」

我慢できない箇所とはどこなのか。続けて尋ねるとこう答えた。

「肘でも再建手術するようなものは突発的なものだと思うのですが、肩はダメです。肩に違和感を持った時点で考えなければいけないです。痛みを持ったらダメです。『肩がおかしいんですよね』と言われたら中止します。

その時点で早めに処置をすれば先が長くなりますし、無理をしてしまえば先がなくなってしまいます。なので肩だけは本当にダメです」

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